1223_人々は悔い改めの説教を渇望していた
聖書にはヨハネが何人かいる 今朝は通勤時にヨハネによる福音書を読んでいました。ヨハネによる福音書は恐らくもう100回以上読んでいると思いますが、新しい気づきがあたえられました。聖書にはヨハネという名の人物が大勢登場します…
聖書にはヨハネが何人かいる 今朝は通勤時にヨハネによる福音書を読んでいました。ヨハネによる福音書は恐らくもう100回以上読んでいると思いますが、新しい気づきがあたえられました。聖書にはヨハネという名の人物が大勢登場します…
信用できない自分 主と共に歩むようになってから信仰生活とは、全くもって信用できない自分を自覚して、信用できる主だけに頼っていきることだとわかりました。このように書くと簡単なように思います。しかし、厄介なのは古い自分の肉の…
自分にもたらされた副産物 昨日に続いて平日主と歩む生き方について書きたいと思います。平日も主と共に歩む生活になって自分にもたらされた副産物があります。それは以前から変えられたいと思っていた他の習慣も自然と変えられたことで…
365日主と共に生きる ここ数日はこのブログで平日の信仰生活を自分の課題にしてきたということを書いてきました。それは決して聖日だけ神様に飢え乾いて主を求めて、平日は好きなように生きるという2面性のある生き方ではなくて、3…
キャパオーバー 今週は久しぶりにおちょこはおろか、ペットボトルのフタ並みのキャパが溢れかえりそうになりました。家に帰ってもやらないといけないことを考えると気持ちが休まらないし、珍しく何回か弱気になってしまいそうになる局面…
聖霊の満たし 僕はバックグラウンドがペンテコステ派ですので、聖霊の満たしを信仰生活の中心として歩んできました。主の前に出て祈るということが当たり前だったので、数時間祈り続けるということも当たり前だと思っていました。実際友…
巡航速度まで上げ続けるには このブログを書いている目的はブログのサブタイトルのとおり「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」です。数年書き続けている中で確信にいたったこと…
祈りの家 先日、仕事が終わって家に向かっている時にこのような願望が沸き起こりました。それは「自分の家が祈りの家となってほしい」ということです。それは、つまり、霊的な祈りの香が焚かれているところであり、主が喜んでご臨在下さ…
末っ子根性 僕は三人兄弟の末っ子なので「誰かに何かをやってもらえる環境」で育ってきました。そのため基本的に受動的ですし、何かによく気づくという性質ももっていません。もちろん、その性質のいかんを末っ子に起因するるのもどうか…
神さまの御心 神さまの御心は聖書に書かれているとはわかっていても、自分の個別の事案に関しては「神様の御心がわからない」という状況は意外と少なくないかもしれません。しかし、多くの場合、個別の事案に関して明確な御心がわからな…
自身にストイックな人たち 僕は筋トレが趣味で、時々、ベストボディやフィジークといったボディビルダーの一種のような大会の動画を見ることがあります。別にそういう人たちの肉体がかっこいいから見ているのではなくて、彼らのストイッ…
教会が変わって 僕は3年前から事情があってペンテコステ派の母教会から福音派のこれまで全くかかわりのなかった教会に行くことになりました。福音派の教会は僕にとって決して遠い存在ではありません。中国にいた時お世話になった日本人…
主に感謝する 先日お風呂に入って全裸で跪いて祈っている時にこのようなことを思いました。 1205_全裸で風呂場に跪いて祈る それは、僕が今日一日主と共に歩めたことを主に感謝する時に主がそれを喜んでくださっているということ…
信仰生活を送ってきて気づいたこと 信仰生活を送ってきて気づいたことに下記のようなことがあります。それは、 キリストにあって変わりたいという願望がなければ何も変わらない キリストにあって自覚させられない限り、変わりたいとい…
GPTを使うことの有用性 以前、聖書を読む時に目的を限定してGPTを使うことの有用性を書きました。 1183_聖書を読む時にAIに聞くなんてけしからん! 聖書にAIなんてけしからんとお叱りを受けそうなので、何度も書いおき…
霊的に生まれ変わり霊的にも育った場所 先日久しぶりに仕事のついでに実家に帰ることがありました。もちろん、子供と嫁さんを連れて帰ると両親は喜んでくれるのですが、僕一人で帰っても親子水入らずで話することができるので、それもそ…
疑う信仰 僕はこれまで自分の矛盾した信仰生活や罪に打ち勝つ力のない信仰生活の中でいつもふらふらしながら生きてきました。ヤコブの手紙に書かれている通りの生き方をしていた時期が非常に長かったです。 ただ、疑わないで、信仰をも…
すごい奇跡、しるし、臨在 僕は信仰生活において、よくこのように考えてしまうことがあります。例えばリバイバルにおいては、礼拝に参加しているすべての人が霊的に感じることができる圧倒的な主の臨在があり、しるし、奇跡が起こること…
この世界で生きていくためには知識も必要 僕は無知であった時に救われました。救われたのち信仰だけではだめなことに気づきました。当然のごとく、この世界で生きていくためには知識も必要だったのです。それから、手当たり次第なんでも…
クリスチャン生活の難しさ これは僕だけかもしれませんが書いてみようと思います。それはクリスチャン生活の難しいと感じていることについてです。 たとえ毎日聖書を読んだり祈ったり教会の礼拝に出席しているだけでは全くクリスチャン…