信仰の天外内 | 内向きから変わるために
人に関心があるか? 昨日は「今自分の信仰はどのような状態にあるのか?」を確認するための「自分は今何にひかれているのか?」と自問することで自分の宝が何なのかが明らかになると書きました。今日は別の指標について書こうと思います…
キリスト教信仰
人に関心があるか? 昨日は「今自分の信仰はどのような状態にあるのか?」を確認するための「自分は今何にひかれているのか?」と自問することで自分の宝が何なのかが明らかになると書きました。今日は別の指標について書こうと思います…
キリスト教信仰
どのような状態 「自分の信仰は今どのような状態にあるか?」を確認するために僕はいくつかの指標を使っています。わかりやすいものでいえば「最近祈っているか?」や「聖書を読んでいるか?」などがあります。祈れば力があるが祈らなけ…
キリスト教信仰
沼に落ちる夢 僕は時々変な夢を見ます。先日は沼に落ちてしまう夢を見ました。体全体にのしかかる重い土から這い上がるのは非常に困難でした。顔も全身も泥だらけになり必死にもがくが、次第に落ちていくという壮絶な夢です。 これは僕…
キリスト教信仰
出勤の時に必ずしている習慣 僕は出勤の時に必ずしている習慣がいくつかあります。今日はそれを共有したいと思います。まず僕はこのような順序を経てオフィスに到着します。 家から駅まで徒歩 電車で移動 駅からオフィスまで徒歩 エ…
キリスト教信仰
へりくだり キリスト教信仰は「へりくだり」抜きにはありえません。それは「へりくだり」が悔い改め、自己否定、降参など主の前に出るために必要な多くの要素を内包しているからです。だから、すべてのクリスチャンにとってへりくだりは…
キリスト教信仰
美しい心象風景 いつまでも美しい心象風景として記憶として残っていることがあります。僕の場合、そのほとんどはある時の礼拝や集会の記憶です。主が深く心に触れてくださること、またご臨在くださることほど美しいものはありません。人…
キリスト教信仰
オーバーフロー 何度もこのブログで書いていますが僕のキャパはおちょこ以下のペットボトルの蓋程度しかありません。つまり、家庭、教会、仕事などでわずかなストレスですぐにオーバーフローしてしまうのです。過去にもほとんど同じよう…
キリスト教信仰
教会生活なくして信仰生活はない 僕はこのブログで一貫して教会生活なくして信仰生活はないと書いてきました。それは教会はキリストの教会だからです。クリスチャンは、イエス様を愛していると言いながら教会は愛さないということはでき…
キリスト教信仰
神様直通の祈り 先日のブログで異言の祈りは神様直通の祈りと書きました。 1802_なぜ異言の祈りは神へ直通するのか | 日常で深まる神との交わり もちろん、イエス・キリストの名によって祈られる祈りはすべて天のお父様直通で…
キリスト教信仰
自己啓発 僕は自己啓発が好きです。社会人になってから自己啓発にかなり投資してきました。お金がない時でも本を買い、無理してセミナーに参加したり音源を買ったりしていました。それには二つの理由があります。 一つは僕が社会人にな…
キリスト教信仰
人は時に揺れるもの 僕はいくつかの個人的な理由によりペンテコステ派である母教会から福音派の教会に行くようになりました。そこにネガティブな理由は少しもありません。僕は今もなお母教会を自分の本当の家族のように愛していますし、…
キリスト教信仰
ぶどう園のたとえ話 僕はこうありたいと思っていることがあります。それは、マタイによる福音書20章のぶどう園で5時に雇われた者であり続けたいということです。この話では途方もないほどの神様の憐れみと恵みの大きさと人間社会での…
キリスト教信仰
「考える」ことが少なくなった AI利用の弊害として本当に「考える」ことが少なくなったと感じています。以前は答えがほしければGoogle検索でしたが、今はチャットエリアを開いて瞬時に答えを得ることができます。僕は正直に答え…
キリスト教信仰
なぜ異言の祈りは直通なのか 以前僕は異言の祈りは神様直通の祈りだと書いたことがあります。下記記事で書いたようにほとんど0秒でイエス様とつながれるのが異言の祈りだと思っています。そしてそれ日常生活のあらゆるところで体験して…
キリスト教信仰
忠実に再現した贋作 先日嫁さんとこんな話をしていました。僕が「有名人のサインってもらって何が嬉しいんかな」というと、嫁さんは「嬉しい」と答えます。僕は嫁さんに僕が高校生の頃、有名なプロレスラーのサインを忠実に再現した贋作…
キリスト教信仰
外見は40歳、中身は2歳児 今日で40歳になってしまいました。僕は39歳最後の日をすっかり忘れていたので最後の30代をかみしめる間もなく40歳になってしまいました。10年前、30歳になった時は30代であることが苦痛で嫌で…
キリスト教信仰
自分が戒められる 最近、デボーションの中で教えられていることがあります。それは、自分が戒められるべきことを聖霊によって示されて、それを言語化し祈りの中で助けを求めることこそが、聖められてく過程であるということです。 僕は…
キリスト教信仰
不信仰な内容 先日は極めて不信仰な内容を書いてしまいました。それは礼拝に関する奉仕は肉体が疲れていても霊は恵まれるが会議や事務的な奉仕は霊が恵まれないと書いたからです。その際に、これは僕の信仰の態度が問題であるということ…
キリスト教信仰
肉が葛藤 クリスチャン生活を送っていて思うことがあります。それは当たり前のことですが、宣言するのは簡単ですが行うのは難しいということです。何にもない時に日々の祈りや賛美の中で「あなたにすべてをお捧げします」と心を込めて宣…
キリスト教信仰
狭い門 昨日は律法主義から解放されたことを前提として、恵みに留まり続けるためにはあらゆる努力をするということを書きました。なぜ、そこまで鼻息荒くこういったことを書くのでしょうか。それは恵みに与ることは簡単ですが、留まり続…