主がいなければとんでもない人間
何度もこのブログで書いていますが、僕は自他ともに認める社会不適合者です。今仕事ができているのはイエス様のおかげです。そして、主の采配のもと奇跡的に適材適所に置かれて、実際的にはチームで動いているから何とか仕事ができているような感じです。
社会不適合者の典型として、僕はすぐに感情が出てしまいます。これは個を抑えて全体の調和を求める日本社会では致命的です。この点に関しては主の助けが必要で、主に心の中に住んで頂き、制御してもらう必要があります。つまり、僕は主がいなければとんでもない人間なのです。
無駄なプロセスか?
またビジネスセンスも皆無です。先日もこのような事がありました。僕が担当しているお客さんに価格提示をしないといけなかったのですが、上司はこれこれの価格で提示して値下げ余地を残すようにと言われました。僕は社会不適合者なので、このプロセスは本気で無駄だと思いました。
なぜなら、正直ベースの価格で提示すれば、値下げ要求、値下げに応じるなどの無駄なプロセスがなくなると思ったからです。そのやりとりがないぶん、他の業務にコミットできると思ったからです。しかし、僕は内心嫌々ながら上司の言うとおりにしました。
普通の社会人からしたら当たり前
すると、想定したとおり値下げ要求がきました。僕はすぐに上司に相談し、対応方法を仰ぎました。そして、値下げに応じてお客さんに回答します。すると、お客さんが非常に喜んでくれたのです。つまり、こちらは想定通りの利益をきちんと確保し、お客さんには喜んでもらえたのです。僕はこれがビジネスか!とすごいと思いました。
これは普通の社会人からしたら当たり前のことだと思います。しかし、僕はグレーな人間なのでそういったことが当たり前のようにできないのです。ようは、いきなりお客さんの前ですっぽんぽんになって何の交渉余地も残さないで正直ベースでやってしまうのです。これは本当にただの馬鹿です。
へびのように賢く、はとのように素直
このような愚かな僕に対して聖書はこのようにおっしゃっています。これはイエス様の言葉です。
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
マタイによる福音書 10:16
僕はへびのように賢くないです。しかし、主が知恵を与えてくださいます。また、この社会ではチームによって生きることができるから周りのサポートによって賢く生きることができていると思います。