1713_誰もいない場所で地に伏す祈りの意味 | 自然に祈れる回復過程
自然と祈れる 最近少しずつ、ようやく自然と祈れるようになってきました。自然と祈るというのは、日常生活のふとした時に祈る選択ができるということです。僕の霊的な状態が不調であった時は、たとえ時間があっても、祈ることができなか…
キリスト教信仰
自然と祈れる 最近少しずつ、ようやく自然と祈れるようになってきました。自然と祈るというのは、日常生活のふとした時に祈る選択ができるということです。僕の霊的な状態が不調であった時は、たとえ時間があっても、祈ることができなか…
キリスト教信仰
洗礼を受けた 先日、嫁さんとこんな話をしていました。それはこのような話です。ある洗礼を受けたクリスチャンの友人が「洗礼を受けたから救われた。だから教会にも別に行かなくてもいい」というそうなのです。嫁さんは聖書の下記箇所を…
キリスト教信仰
御言を味わう 僕が17歳くらいで自発的に聖書を読み始めた頃はまだ黙想する、御言を味わう、咀嚼するということが一体どういうことなのかわかっていませんでした。それがわかるようになったはこのようなプロセスを経てからでした。 ま…
キリスト教信仰
見破れているつもりで騙されてしまっている 昨日は、地面師詐欺について書きました。地面師詐欺集団が地主の「なりすまし」を用意するように、聖書に書かれているとおり、サタンや悪魔も天使になりますまします。また、地面師詐欺集団が…
キリスト教信仰
嘆願、依頼、お願いばかりの祈り 祈りの神殿が回復されつつある中で、自分の祈りが変わったように思います。以前はそればかりではよくないと思いつつも、嘆願、依頼、お願いばかりの祈りになっていました。祈りの範囲も自分、限られた範…
キリスト教信仰
祈りの神殿 最近、自分の中で崩れきっていた祈りの神殿が再び建て上げられつつあります。僕は愚か者なのでこれまで神殿を建て上げては崩れてを何度も繰り返してきました。直近では2022年にも同じようなことを書いていました。 05…
キリスト教信仰
主の心を知りたい 人生の節目において、自分がどう進めばいいかわからない時、たとえば、就職や転職や結婚など、そのような時クリスチャンは「主の御心を知りたい」と願うものです。この決断が人生を大きく左右するとわかっているからこ…
キリスト教信仰
豊かな心の人生とは? このブログでは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を掲げています。これが僕が毎日言語化し、ブログを書き、祈りに関して試行錯誤し、暗唱聖句をし、何…
キリスト教信仰
アファメーション みなさんは「アファメーション」という言葉を知っていますでしょうか?これは自己啓発には欠かせないテクニックで、自分自身に肯定的な言葉を繰り返し唱え潜在意識に働きかけることで、自己肯定感や目標達成を促す方法…
キリスト教信仰
Xでのポスト 先日、X(旧Twitter)でフォローしているキリスト教関係のアカウントがこのような御言をポストしていました。 “Don’t worry about anything; instead, pra…
キリスト教信仰
思いを馳せる中で 先日ブログで「なぜ、祈りたくないのか?」という自問に対する答えとして、「永遠のふるさとへの望みはある。永遠のいのちへの望みはある。しかし、今年の出来事を思うにこれからの地上における自分の人生には希望を見…
キリスト教信仰
なぜ、祈りたくないのか? 昨日は「今は主に祈りたくないと思っていた」というタイトルでブログを書きました。祈りたくはないが信仰生活は送りたい。だから、自分の理性や力で頑張ろうというのは本質的なところで誤っており、遅かれ早か…
キリスト教信仰
霊的にスランプ 昨日はよい意思決定をするためには長期視点が大切だと書きました。またクリスチャンはさらに永遠という視点が必要になるとも書きました。そして、永遠の視点で物事を見るには、自身の力と理性の限界を認めた降参、そこか…
キリスト教信仰
神は霊 昨日は日本のキリスト教会はスピリチュアルに振れ切ったほうがいいと書きました。キリスト教会におけるスピリチュアルという言葉の印象はネガティブな場合が多いと思うのですが、ここで書くスピリチュアルとは「祈りによって霊性…
キリスト教信仰
日本の教会の低迷 上から目線の過激なタイトルのように思いますが、決して外から教会を眺めて教会の悪いところを指摘したいわけではありません。むしろ、その側にいる者として自分に対して書きたいと思っています。日本の教会の低迷は言…
キリスト教信仰
体が動かないこと 昨日は、自制心うんぬんゆっている自分がスマホをやめられないということを書きました。色々な本を読んで理性によって制御しようと思いましたがうまくいっていません。それもそのはずです。人間は理性で動くものではな…
キリスト教信仰
日々の献身を現わす 数か月前より自身の生活のチューニングをしていると書いていました。それは今年の5月頃から8月にかけて僕の習慣が完全に崩れ去ってしまっていたからです。9月頃より本格的に各種調整を始めました。それは、ランニ…
生き方
「信仰がない」と同義 二日前は意思について少し書きました。感情によって意思決定するのか?理性によって意思決定するのか?の二択です。僕は自分のことも含めてクリスチャンは意思を放棄しやすいのではないか?と思うことがあります。…
キリスト教信仰
主に仕えることができる 僕はとても怠惰で安きに流されやすい人間です。まともな自制心はもっておらず、主に制御してもらわなければ、くつわをつけないロバのごとくどこにでも行ってしまいます。だからこそ聖霊に導きが必要です。また足…
キリスト教信仰
罪の力には勝てない 救われてから自分には「主にあって変えられるところと変えられないところがある」と勝手に思うようになりました。確かに二ーバーの祈りにもあるように、そういうものはあると思います。その人がもっている資質、個性…