1740_今もなお消えない小さな火

普段から準備はしている

僕は一つ心がけていることがあります。それはもし主から献身するように召しがあった時にその対応がすぐにできるように普段から準備をしているということです。たとえば、聖書を読むこと、暗唱聖句をすること、祈りの生活をすること、伝道すること、などです。

僕は救われた時に心から主に人生を捧げたいと思いました。それは、主がしてくださったことがあまりにも大きなことだったからです。もし主がいなければ僕の人生はどうでもいいものであったに違いありません。しかし、主が共にいてくださることで人生が変わったのです。

消えない小さな火

救われた当時、様々な特別礼拝でなされる献身の招きにも手をあげて応じたこともありました。しかし、僕は完全に躓いてしまったのです。時に主から完全に心が離れたこともありますし、救われてからも主を悲しませることを多くしてきました。

しかし、それであっても主が救ってくださった時に僕の魂に宿った炎は今も消えることなく燃え続けています。それは救われた当時の大きな感動を伴う大きな火ではないかもしれません。たとえ小さな火であっても消えることはないのです。だから僕は日頃から準備をしたいと思っています。

昨日はモーセの生涯から長い準備の試練の期間があったということを書きました。僕自身も今のこの時は準備と訓練の時だと思っています。もしかしたら、主の召しはこないかもしれません。また僕が思い描くような献身の道ではないかもしれません。それであっても、主に役に立つへりくだった、使いやすい、器でありたいと思っています。

2026年に向けて

2025年もあと7日で終わります。2026年はどのような1年にすべきか祈り心をもって備えようと思っています。2025年にやろうと思っていて、途中で頓挫したことも多くあります。たとえば、家庭集会をしたいということも実現できずにいます。また数学やその他勉強や資格取得、暗唱聖句などもうまく進んでいないこともあります。

そういったこと全般を含めて2026年の計画を立てようと考えています。それは、すべて主から召しがあった時に応えられるようになりたいと思っているからです。

出エジプト記 3:4
主は彼がきて見定ようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。

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