大目標は一生涯をかけて目指す
昨日は、2026年の計画を考えるということを書きました。それから実際に手を動かして数年前に立てた大目標を支えるための中目標、小目標を見直して、日々の具体的なタスクにまで落とし込む作業をしています。大目標は一生涯をかけて目指すものなので決して変わることはありません。中目標も数年単位では変わりません。
しかし、時間の経過ととともに常に変化するので、小目標や日々の具体的なタスクという粒度になると、やるべきことは変わってきます。今回はそれを見直そうと思っています。
書いた夢は必ず叶う?
よく「書いた夢は必ず叶う」とか「書いたことは必ず実現する」というようなことが言われています。僕自身はこういった自己啓発やスピリチュアル要素は好きはありません。以前は胡散臭いなとかポジショントークだろとか否定的でやえろうと思っていませんでした。
しかし、十数年前から「一回騙されたと思ってやってみよう」と書いてみると、確かに書いたことが実現しているというのを体験したのです。書くことの粒度によって実現される時期は確かに変わりますが、小さなものであれば数か月とか1年とかで実現しました。
脳が本気になる
僕はそのメカニズムの詳細をよくわかっていません。ただ一つ言えることは決してスピリチュアルではないということです。よく言われることは、書くことによって脳が本気になり、体がそれに向かって動き出すということです。
僕が書かなかった時は、糸の切れた凧のような生活をしていました。自分を小さな意思決定や行動を制御してくれるものを持っていなかったのです。だから流されるままに一日を過ごしていました。しかし、書くことによって小さな意思決定や行動にまで気に留めるようになりました。
掲げただけではなかなか変わらない
クリスチャンは確かに福音宣教やキリストの似姿になるという大目標をもっています。しかし、それを掲げただけではなかなか変わらないという事実があります。御言、祈り、聖霊、奉仕、交わりを信仰生活の土台とした上で、大目標を実現するための中目標、小目標、具体的な日々のタスクという粒度にまで落とし込まないとそれに向かって体が動かないのです。
なぜなら、たとえば、キリストの似姿になるというのは非常に抽象的なことであり、頭や体はそれに向かってどうしたらいいのかがわからないからです。しかし、日々の具体的な行動にまで落とし込むと頭や体がそれを理解して動いてくれるようになります。













