1784_主に委ねる生活をしていると自分の思った通りにいかないことが多くなる

一つを選択したら一つは捨てる

僕はこれまで神様が良かれと思ってしてくださっていたことを良かれと思っていないことがありました。たとえば、時間は不可逆的なもので一つを選択したら一つは捨てなければなりません。具体例をあげます。日曜日に教会に行くという選択をすれば、その時間はそれ以外の選択はできません。

僕は小さい頃、「友達と遊びたい」や「テレビを観たい」と思ったことがありました。しかし、これこそが、神様が良かれと思ってしてくださっていたことに他ならないのです。

事後的にわかる

その時には外部からの圧力や強制力(親の強制力)が必要になるかもしれません。しかし、基本的には信仰を働かせる必要があります。そして信仰を働かせて終わりではなくて事後的にわかってくるのです。僕は今ならこう思います。「あーあの時、教会に生き続ける選択をしてよかった」と。

しかし、事後的にわかるのは結構先である場合が多いです。ですから、やはり、信仰が必要になります。言い換えれば主に委ねるということです。

偶然ではなくて必然

こういったことは日常生活でもよくあります。主に委ねる生活をしていると自分の思った通りにいかないことが多くなることに気づきます。たとえば「今日は帰ったらあれをしよう」と思っていても、帰宅して子供を寝かしつけたらそのまま寝てしまい何もできなかったということがあります。あるいは、ある時は急に体調不良になり、寝込んでしまったこともあります。

もし、主に委ねる生活をしているのであれば、これらは偶然ではなくて必然であり主の導きになります。それは主が良かれと思ってしてくださっていることであると僕は信じて委ねています。

捨てたほうの選択を考えてみる

少し想像力を働かせてみます。たとえば「今日は帰ったらあれをしよう」と思っていた夜、もしかしたら、僕はそのことを一切せずにスマホを深夜までだらだら触っていたかもしれません。また、もし僕が体調不良で寝込んでいなかったら僕は何か主の心から外れることを言ったりしたりしていたかもしれません。

これは本当はどうかわかりません。冒頭にも書いたよう、時間は不可逆的なもので一つを選択したら一つは捨てなければならず、捨てたほうを選択してたら何をしていたのか?はわからないからです。

神様が良かれと思ってしてくださったこと

今ではすべてのことにおいて、「神様が良かれと思ってしてくださっていたことは本当に良いことだ」と思うようになりました。それは自分がいかに頼りなく、虚しい存在であるかを知っているからだと思います。今日も主に委ねます。

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