一時期までは赤の他人
結婚生活は僕にとって素晴らしい神様のプレゼントだと思っています。それは家族が愛し合う麗しい関係があるからではありません。それは、全く血の繋がっていない一時期までは赤の他人であった人と一緒に暮らすということが驚きと啓発と訓練と学びに満ちているからです。
僕と嫁さんは驚くほどに性格も趣味も思考傾向も全く違います。唯一一致できているのは信仰においてだけです。それ以外は全然違います。先日もこのようなことがありました。
それは、僕が食べた90円くらいのメロンパンに対して「このメロンパンあまりおいしくなかったね」というと、嫁さんが「えー、むっちゃおいしかったやん!」と答えたことです。僕はその時、メロンパン一つですら一致できないのかと思いました。このように結婚生活における体験は驚きと学びに満ちています。
自分が思うように相手も思うと思ってしまう
そもそも人は基本的には自分が思うように相手も思うと思ってしまう自己中心的な存在です。
例えば先日電車に乗っていたら、僕の隣にどーんと勢いをかけて男性が座ってきました。僕は心の中でゆっくり座ったらいいのにと思いました。そうするとその男性は大きく足を組んで足が僕のほうに当たりそうになりました。僕は心の中で嫌だなぁと思いました。
しかし、よく考えたらその人がそういった行為を決して失礼だと思っていないからそうしているだけなのです。むしろ、僕が失礼だと思っているだけで社会通念や常識からみればそれは失礼という行為に当たらない可能性すらあります。
高度な技術を身につけていく
これは自分に対して自戒として書きますが、「自分が思うように相手も思うと思ってしまう」というのは子どもである証拠です。なぜなら、人は成長するにつれて、「相手の立場に立って」や「相手の気持ちになって」や「感情移入して」などの高度な技術を身につけていくことによって社会性を高めていくものだからです。
ここで僕は告白しなければなりません。それは僕は39歳にして未だにそれができないからです。ほとんど致命的と思われるレベルで相手の立場になって考えるということができないのです。
イエス様のおかげで
しかし、僕は失望しません。なぜなら、僕が聖霊の導きに従うことによって、あるいは、僕の中に住んでくださるイエス様のおかげで、「相手の立場になって考える」ということを教えてくださるからです。













