戦争って恐ろしいもの
毎年8月になると、NHKスペシャルでは太平洋戦争に関するドキュメンタリーの放送、再放送が多くされますが、僕は毎年これらを見るのを習慣にしています。それは今僕が享受している平和は決して当たり前ではなく、むしろ、明日には失われるかもしれないという危機感を持っているからです。
平和を願う心は、その反対がどういうものなのかを知らないと切実さを伴いません。おそらく誰でも平和学習なので「戦争って恐ろしいもの」とある程度の知識や体験はもっていると思います。しかし、それすら色あせていきます。だからこそ毎年、知る必要があると思っています。
人の表情
特に最近は、白黒の古いフィルムを高精細化、カラー化することができるので、昔よりもより詳細に当時の雰囲気を知ることができるようになっています。僕がすごいと感じたのは人の表情です。たとえば、パレードなどでみんなが笑顔で喜んでいるように見える映像で、実は後ろの方の人は悲壮感に満ちた顔をしていたというのが高精細化によって明らかになっているもんがありました。
実際ドキュメンタリーを見ることで、僕は戦争の悲惨さを全然知っていなかったと毎年思わされます。視聴後はどんよりとした気分になることが多いですが、絶対に平和を追求することをやめてはならないとの決意を新たにします。
自然法則なので避けられない
数週間前は僕は「両極端に振れ切る」という言葉を好んで使っていましたが、平和が行き過ぎるとまたその逆に振れ切るものです。これは世代交代によって意識が変わるからです。これは、歴史を見ても繰り返しており、ほとんど必ず韻を踏むと理解したほうがいいと思っています。昨日は、ジョージ・ソロスの均衡性の喪失について書きましたが、これも両極端に振れ切ることにより起きていることです。
振り子が反対側に行き切ると、必ず逆方向に勢いを増して振れ切っていきます。これは避けられないのでしょうか?これは自然法則なので無理だと思います。僕は文明はいかに進歩したとしても、人間は全く変わっていないので避けられないと思っています。
キリストの血潮
しかし、唯一の例外があります。それはキリストの血潮です。なぜなら、キリストの血潮は自然法則を打ち破るものだからです。罪の赦し、復活、新しい命などはキリストの法則の中にあるものです。だから、僕は悲観的に見えるようですが、悲観主義者ではありません。むしろ、肉にあっては悲観を内包しつつも霊において、キリストにあっては希望主義者です。