1553_不信仰の心を前提に主への依存を深める | 理想像では支えきれない現実
不信仰の心 正直に話すと僕の心の中には不信仰の心が湧き上がってくることがあります。こんなことを書くと「お前はそれでもクリスチャンか!」と言われそうですが、実際にそうなのです。なぜなら、僕は霊によって生きていると同時にこの…
キリスト教信仰
不信仰の心 正直に話すと僕の心の中には不信仰の心が湧き上がってくることがあります。こんなことを書くと「お前はそれでもクリスチャンか!」と言われそうですが、実際にそうなのです。なぜなら、僕は霊によって生きていると同時にこの…
キリスト教信仰
主の力 ここ数日、主に立ち返ってから自分の考え方が変わりました。それは主にある平安と誰も奪い去ることのできない喜びが心に溢れているからです。現在においても、はたからみたら見えるところの現状はよくありません。また現実も厳し…
キリスト教信仰
間違った声と間違った場所 昨日に続けます。自分は間違った声を聞き、間違った場所にいました。しかし、主は語り掛けてくださいました。その語りかけは、アダムに対する言葉のようであったかもしれません。 主なる神は人に呼びかけて言…
キリスト教信仰
浮き沈みの激しい このブログは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を標榜しています。それは、これまで自身の信仰は浮き沈みが激しかったからです。たとえば、集会で恵まれた…
キリスト教信仰
緊張状態 ここ一か月ずっと緊張状態におかれていました。緊張状態に置かれているとあらゆる面で普段よりもパフォーマンスが上がります。それは霊的な側面においても、日常の様々な側面においても、良い影響をもたらします。それは常在戦…
キリスト教信仰
ジャストフィット 先日、在宅勤務で子どもをリビングで遊ばせながら仕事をしていました。家には僕と子どもしかいません。すると、子どもほうから「鼻が痛い!」という声が聞こえてきました。子どものところに行って鼻を見ると右耳に何か…
キリスト教信仰
目に見えるところは非常に厳しい つくづく客観的に見て自分は変わっているし、振れ切っているなぁと思うことがあります。特に人とのかかわりの中で自分が示す反応が人と違うなと思うことがあります。 今、我が家はかつてないほどの試練…
キリスト教信仰
第一コリント13章 先日散歩している時にこの御言を口ずさんでいました。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない…
キリスト教信仰
嫁さんの犠牲の上に 子どもと1週間ひと時も離れずに生活して教えられたことがあります。それは自身の信仰生活の基本が嫁さんの犠牲の上に成り立っているということでした。僕が朝、夜、祈る時間を確保できているのは嫁さんが子どもを見…
キリスト教信仰
言語化すること 僕はこれまで「言語化」ということにこだわってきました。それは言語化することによって見えなかったものが見えるようになり、ぼんやりしていたものが精緻化され、不要なものが排除されてデトックスされ、頭の中だけでは…
キリスト教信仰
変えられ続ける このブログではキリストにあって変えられ続けることを信じて自身の信仰生活の試行錯誤を書いてきました。人が変わる前提として書いてきたことは、人は主によって自覚させられない限り自身が変わらないといけないというこ…
キリスト教信仰
霊的な生活を支えるもの 僕には聖書以外にも大切なものがあります。それは何が何でも失いたくないと思っているものです。それは僕の霊的な生活を支えるものです。そして主との交わりにも欠かせない大切なものです。僕はこれまでの人生で…
キリスト教信仰
とりなしの祈り 最近はとりなしの祈りに関して学ばされています。どこの教会にも週報などに祈祷課題というものが記載されています。またそれだけでなくより個人的な内容に関して祈る課題のリストがあったりします。もちろん、それだけで…
キリスト教信仰
それぞれが主を見上げる時 クリスチャンの夫婦として歩んでいて素晴らしいと思うことがあります。それは夫婦が主にあって一つになるということです。当たり前ですが僕は結婚する以前はそれがどういったものなのか、全く想像がつきません…
キリスト教信仰
1秒たりとも 最近教えられていることは主により頼まなければ、1秒たりとも自分では立つことはできないということです。救われてからもこういった信仰をもっていたことはありました。しかし、自身が成長するにつれ、自分でできることが…
キリスト教信仰
霊的な戦いについて 昨日に引き続き、霊的な戦いについて書きます。前提として肉の目で物事を見る時、霊的な戦いを意識することは決してありません。それは戦いが起きていることすらわかっていない状態です。戦うこともできません。それ…
キリスト教信仰
主のため 昨日は朝の黄金の時間は悔い改めから始まると書きました。さらに教えられたことを書きます。朝、主の前に出るのは当然「僕」のためじゃありません。主のためです。しかし、どこまでいっても「僕」が顔を出すことを自覚しなけれ…
キリスト教信仰
朝の黄金の時間を主に捧げる 昨日はブログを削除したことを書きました。これは主との個人的な関係において、主に喜ばれないことを書いていたということです。今回の出来事によって僕は戒められました。その中で教えられたこともあったの…
子育て
「躾け」に関して 子育てをしていて学んでいることがあります。それは「躾け」に関してです。躾けなければこどもは馬鹿息子(娘)になります。しかし、うまく躾ければ人から愛される人間になります。 躾けることに関して誤解を恐れずに…
キリスト教信仰
主に油注がれた者 最近は通読でサムエル記下を読んでいます。ここから多くの学びを得ることができました。一つはダビデのサウルに対する徹底した態度です。サウルはダビデの命を狙う者、いわば敵でした。しかし、ダビデは自分の命を狙う…