1727_大変ショックに感じる出来事があった時のこと

心が折れた時

先日、別に大したことではないのに、大変ショックに感じる出来事がありました。僕の心は自分が思っている以上に折れてしまって、ほとんど粉々に砕けたようにすら感じたのです。その時に僕がとっさにしたことはうつぶせになって目をつぶることでした。

それは、まずは冷静になって客観的に見るようにしないとと思ったからです。しかし、それでも心が落ち着きません。次に愚かながら、僕はAIに状況を説明するという手段を取りました。AIは深い同情心をテキストで示しましたが、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

祈る

僕は嫁さんにこの出来事のことを話そうと思いましたが、それも違うと思いました。その時点で僕はようやく信仰者として正しい選択をすることができました。それは祈るということです。

「主よ。私は愚かで弱い者です。何でもない大したことのないことで僕の心は大きく揺さぶられているのです。しかし、私はあなたにより頼みます。なぜなら、あなたは私の心を回復させ、自由にしてくださるからです。」

その祈りによって瞬間的にネガティブな感情から解放されて「私は完全な自由を得た!」となったわけではありませんでした。しかし、僕はすでに祈りはきかれていることを確信していました。

主に委ねればあとは主が解決してくださる

その日は、すぐに寝るように示されました。そして、20時くらいには子供と一緒に寝ました。そして寝ている間に不思議なことに夢の中で言語によって自分の心が整理されていくのを感じました。僕は夢の中で自分が解放されたことを感じました。そして、朝目覚めた時、確かに僕は全く昨日の感情から解放されていたのです。

これが主と共に生きる者の特権だと思いました。誰かに話をしたり、SNSではけ口を見つける必要もありません。また何か他のことに没頭して「考えないようにする」という手段を取る必要もありません。ただ、主に委ねればあとは主が解決してくださるのです。僕はそれを強く感じました。

祈ることをしていなかったら

もし、僕が祈ることをしていなかったらどのような行動をとっていたか予測がつきます。まず、自分の中で処理しきれないので、嫁さんに話をします。そして、さらにそれを感情や行動であらわしていたと思うのです。そんなことをしても何の意味もなければ何の益にもなりません。

詩篇 27:1
主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。

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