0208_きったないガムを相手の心にへばりつける人

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話言葉の難しさ

つくづく、「言葉」は気をつけすぎるに越したことがないと思います。書き言葉はTwitterやYoutubeのコメント欄などで見られる批判的な感情的なやりとりは例外として、基本的にはワンクッション置けるので問題が生じにくいです。しかし、話し言葉は、反応的で瞬間的に口から出ていることが多いので、しばしば、余計な一言や言う必要のなかった言葉、または、表現を変えたほうがよかった言葉などがあとから思い出されます。

健全な魂は健全な肉体に宿ると言いますが、健全な言葉は健全な魂(心)に宿るものだと思います。聖書には「おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。」(マタイ12:34-35)とあります。ですので、反射的に安定的に良い言葉を出し続けるためには心を良い状態に保つことが重要だとわかります。

聖書の別の箇所にはこのように書かれています。「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」(箴言4:23)命の泉は言葉や行動を通して流れ出るキリストの命ですので、そのためには「油断することなく」心を守らなければなりません。

Twitterのツイート

油断することなく、と書かれているのは、それだけ心を守ることが難しいからだと思います。日常生活を送る中で、全く益にならないニュースやゴシップに感情を振り動かされたりもしますし、仕事や学校でも同僚や友人の一言で落ち込んでしまうこともあるでしょう。また、肉体的に疲れている時はなかなかポジティブな言葉が出せないこともあります。

僕は一時期Twitterを2年間ほどしていたことがあります。そこにはクリスチャンと言われる人が大勢いましたが、非常にセンシティブなテーマをわざわざ議論して罵倒し合うようなツイートが少なくありませんでした。もちろん、励みになるような良質なツイートもたくさんあります。しかし、基本的に人間には自己承認欲求があるので、いいね欲しさにツイートしてしまいがちです。ですので、よほど強い意志でTwitterを使いこなさない限り、Twitterのいいねにドーパミンが放出されてやめられなくなり、パブロフの犬のようになってしまう可能性があります。さらに、つまらないツイートで不快に感じることが多ければ、全く有益なツールとも思えずアカウントを削除しました。

一生涯改善し続ける

油断することなく心を守り続ければ、反射的に安定的に良い言葉が出せるかといえばそうでもないでしょう。コミュニケ―ションの場数を踏み、失敗しながら、次回からは気を付けようと自分を成長させることを一生涯つづけなければならないと思います。どれだけ配慮に配慮を重ねていたとしても、地雷を踏んでしまうことを完全に避けることはできません。

自分の言った言葉は、時には相手を励ましますが、時にはきったないガムのように相手の心にへばりつかせていることもあります。だから、今日もやはりイエス様の前で悔い改めて、良い倉から良い言葉を出せるように成長させて頂きたいと思いました。

わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
ヤコブ3:2