1721_通勤途中に祈れる場所がほしい

通勤途中に祈れる場所

頭の片隅にずっとあるアイディアがあります。それは通勤途中に祈れる場所があったらいいなという考えです。もちろん、ビジネス目線で考えておらず自身があったらいいなという願望にすぎません。なぜそう思うかというと、家に帰ると緊張から解き放たれて祈るのが難しくなると感じているからです。

このブログでは何度も書いてきましたが、祈るには朝がいちばんです。頭が真っ新な状態で、心が余計なものに汚染されていない状態で主の前に出るのがいちばんです。表現は宜しくないかもしれないですが、ゾーンに早く入れます。

教会はプライベートな環境ではない

しかし、夜はそれが難しいのです。だから、せめて帰宅途中に一人で静まれるところ、そして声を出しても問題のない場所があればいいなぁと思ったわけです。カフェで聖書を読むことはできますが、祈ることはできません。何より、最近僕は跪き、頭を地面につけて礼拝するスタイルをとっておりそういう場所があったらいいなと思ったのです。

もちろん、そういった願望の答えは決まっています。教会に行って祈ればいいのです。しかし、教会はプライベートな環境じゃありません。パブリックな環境であり、ある一面においては集中できない場合もあると思っています。

自然の中で祈る

僕が今思い描いているささやかな将来はこのようなものです。それは都会から離れて自然豊かなところ(できれば熊がいない九州とか)に移り住み、仕事終わりは家に入る前に自然の中で祈るというような生活です。

これは僕が以前の母教会で行っていたことでした。母教会には裏山があり、教会の集会がなくても僕は一人でそこに行って、時間を問わず祈りに行っていたからです。僕にとってはいちばん祈りに集中できる場所でした。僕が憧れているサンダー・シングという伝道者もチベットの奥地や自然の中で祈ることをしていた人でした。人は元来自然の中で祈っていたのだと思います。

祈られている場所

冒頭のアイディアに戻ります。当面は都会での生活から離れることはできないので、せめて、一人で祈れる場所がほしいと思っています。レンタルスペースで一時的に借りるというよりも、そこが祈りの場所、祈られている場所になるようなところにしたいと思っています。いつ叶うかはわからないですが、いつかそういう場所を手に入れたいと思っています。

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