0745_2023年の墓前礼拝に参加して
イースター礼拝後 今日はイースター礼拝が終わったあと、墓前礼拝に参加ました。教会から車で40分ほど行ったところに霊園があり、そこに教会のお墓があり点に召された教会員はそこに納骨されることになっています。この墓前礼拝には昨…
イースター礼拝後 今日はイースター礼拝が終わったあと、墓前礼拝に参加ました。教会から車で40分ほど行ったところに霊園があり、そこに教会のお墓があり点に召された教会員はそこに納骨されることになっています。この墓前礼拝には昨…
教会にコミットすること 今日は3回教会に行きました。6時30分から早天祈祷会に参加しました。10時からはCSの準備と印刷物の奉仕の手伝いに行きました。13時からは聖書の学びに行きました。ここ数年、コロナになってからめっき…
夫婦関係は神秘 夫婦関係とはとても不思議な関係です。「それを言っちゃおしまいよ」かもしれませんが、言ってしまえば、血の繋がりも何もない赤の他人にすぎません。しかし、なぜか何十億という人の中からこの人を選び、生涯のパートナ…
神様の介入 これまで、仕事であと少し間違っていたら、大炎上していたというようなことを何度も通ってきました。僕が踏み外す!と思った時に主は右の手で支えてくださっていたのです。僕は社会不適合者なので、いつも限界の中で仕事をし…
自分の時間 僕が若かった頃は自分の時間がとても大切だと感じていました。時間は誰に対しても公平に与えられているものであり、時間の使い方次第で人生が決すると信じていたからです。誰でも時間を浪費することもできれば有効に活用する…
影響が大きすぎる OPEN AIのchatGPTを含む対話型AIの開発の競争が激化しています。その影響は既に様々なところに出ています。読書感想文のコンクールなどでは応募規約に対話型AIを使って書いた感想文を認めないことが…
三つ子の魂百まで 昨日は「三つ子の魂百まで」ということで、親の存在が子供の性格や人格という人としての土台となる部分に大きな影響を与えるということを書きました。そして、それは子供を経済的に養うということよりも重要で親は大き…
信仰生活はマラソンに例えられる 人生はマラソンに例えられることがあります。信仰生活もまたマラソンに例えられることが多いです。たとえ、イエス・キリストを受け入れて、劇的に返られたとしても1年で信仰をやめてしまったら信仰のマ…
神を選べばいいだけなのに 僕はクリスチャンとして生きていますが、「神様を選び続けるという一見簡単に思えることがなぜできないのか」ということに悩むことがあります。この世的なものや自己中心的なものを選ばずに神様を選べばいいだ…
定期点検項目 クリスチャン生活の中で、定期的に欠かせない作業が2つあると感じています。一つは、「神がこれから必ずなしてくださる新しいこと」に目を向けること。もう一つは、「神がこれまでになしてくださったこと」にも目を向ける…
意思決定で人生は決まる 人生は意思決定によって決まると言っても過言じゃありません。小さいところで言うと、毎日何を食べるか?という小さな意思決定の積み重ねによる健康や家計への影響。大きいところだと、どこに進学するか?どこに…
Chat GPTの衝撃 先日AIツールであるChat GPT4がリリースされました。SNSなどでもかなり話題になっています。人間でも回答に窮する変化球の効いた質問に対しても、ユーモア込めつつ正確に回答しており、本当に人間…
負荷テストであらわになるもの 昨日の負荷テストに続けます。人は負荷テストによってはじめて自分が何を考えているかを自分で自覚することができます。いくら黙想や静かな時間や内省の時間をもっていたとしても、その時に思っていること…
とりなしの祈り 30代後半にして、今更ながら、ようやく「とりなしの祈り(誰かのために祈ること)」の味が少しづつわかってきました。聖書には愛がなければすべてはむなしいと書かれています。たとえ、命を投げ出す犠牲的な行動があっ…
愛がないのなら、愛すればいいだけ 鶏が先か、卵が先かの問題と同じなのですが、「愛があるから愛するのでしょうか?愛するから愛があるのでしょうか?」一見、愛があるから愛するものだとも思えそうですが、決してそうではないと思いま…
若い頃の純粋な信仰に戻りたい 最近、神様に出会ったあの若かった頃に戻りたいと思うことがありました。あの時は本当に純粋に神様だけを求めていたからです。世の中にも出ていなかったので、擦れておらず、まさに幼子のような気持ちで神…
見えないものを見る生き方 キリストの恵みにより魂が救われたからといって、必ずしも人生順風満帆になるというわけではありません。たとえ、目に見えるところはうまくいっていなくても、失望の連続であったとしても、キリストの命が与え…
とげの人 僕には僕にとってとげだと思っている人がいます。僕は何度もこのとげだと思っている人を遠ざけてくださいと主に祈りましたが、その度に、「ゆるす」という言葉を与えられて、実際に受け入れるということをしてきました。この過…
主観がすべて 当然のことですが、人は主観で生きています。それは自分だけが自分の人生を生きているからです。だからこそ、自分に言われた言葉に一喜一憂したりします。自分が受け手で、自分がそれを感じるのです。嬉しいことも悲しいこ…
クリスチャンの優先順位 書くとすごく当然のことのように思えますが、実際に日々の意思決定をする中で体験的にこの順序が間違いないということがわかってきました。その順序とはこちらです。 神 家庭 仕事/教会 プライベート これ…