1631_教会は面倒という声にどう向き合うか | 教会生活の価値を再確認
教会生活が重要 このブログでは一貫して教会生活が重要であることを書いてきました。その理由はいくつかあります。第一に、神様は一人のクリスチャンを命を捨てるほどに愛しておられますが、教会も同じように愛しておられるということで…
キリスト教信仰
教会生活が重要 このブログでは一貫して教会生活が重要であることを書いてきました。その理由はいくつかあります。第一に、神様は一人のクリスチャンを命を捨てるほどに愛しておられますが、教会も同じように愛しておられるということで…
キリスト教信仰
生粋の悲観主義者 今日は自分の世界の捉え方の変化について書きたいと思います。僕はかなり変わったこどもで幼稚園に行き始めた頃から既にこの世界に対して悲観的な態度を取っていました。当時はもちろん言語化するすべはなかったのです…
キリスト教信仰
彼が神に信頼していたから 昨日は自分のCS説教の準備について書きました。今日は先日の説教の準備で教えられたことを書こうと思います。聖書箇所はダニエル書6章でした。ここは非常に有名な箇所でダニエルが信仰のゆえに、ライオンが…
キリスト教信仰
全く言える立場ではないですが 自分が学生だった頃、全く言える立場ではないですがこういう議論をしたことがあります。「顔がよくて性格が悪い女性がいいか?それとも、顔はよくないが性格がいい女性がいいか?」という何とも失礼な議論…
キリスト教信仰
その人とイエス様との関係 時々、他の教会においてこのような話を耳にします。それは教会の主要メンバーで献身的に働かれていた方が教会から離れて開拓を始めるという話です。このことに関して「あなたは私に従ってきないさい」というイ…
キリスト教信仰
心からあふれ出てくるもの 人間は肉においては、ほとんど事実しか認識できません。例えば、今年我が家に起きた赤ちゃんが天に召されるという出来事は悲しいことでしょう。確かに事実はそうです。しかし、真実においてはそうじゃありませ…
キリスト教信仰
わかっちゃいるけどやめられない 昨日は車のフロントガラスに落ちてきた雨粒と遠方にあるビルを両方見ることはできないと書きました。それは信仰において、この世界と天のふるさとを同時に見ることができないことと同じと書きました。両…
キリスト教信仰
遠近両方を見ることはできない 先日車を路肩に停車して遠方に立ち並ぶビルをぼんやりと眺めていました。すると雨がぽつぽつと降ってきて、フロントガラスに雨粒が落ちてくるのが見えました。その時に当たり前のことを思いました。それは…
キリスト教信仰
心の中の声 僕の心の中には時々このような声が聞こえてきます。 「あの人はどうなのですか?」 「あの人はああなのに?」 「なんであの人だけ?」 このような内なる声が聞こえてきた時の対処方法は既に聖書に書かれています。聖書は…
キリスト教信仰
数時間は生きられるかもしれない 先日、おなかの中にいる赤ちゃんは生まれても生きられる可能性は限りなく低く、助産師よりいよいよお葬式の準備も進めるようにと言われたと書きました。赤ちゃん用の棺桶を手配し、骨壺も買いました。僕…
生き方
平和から戦争へ 今日も「両極端に振り切れる」ということについて書きたいと思います。これから世界は両極端に振り切っていくので、平和から戦争へ、豊かさから貧しさへなんて書くと不謹慎と思われるかもしれません。あるいは、クリスチ…
キリスト教信仰
両極端に振れ切る 最近は「両極端に振れ切る」ということをよく考えています。80年前は戦争の時代で貧しい時代でした。以降、80年間は相対的に平和で繁栄の時代でした。歴史がこれまでも韻を踏んできていることを考えれば、この平和…
キリスト教信仰
聖なる者として歩ませてくださる恵み イエス様の十字架は人間の罪を赦してくださいます。またそれだけではなくこの地上において聖なる者として歩ませてくださる恵みに与らせてくださいます。しかし、この聖なる者という言葉に対しては信…
キリスト教信仰
信仰も恵みによって与えられる クリスチャンは信仰的であるべきだというのは聖書的であり正しいと思います。なぜなら、もし信仰を働かせなければ、現実、事実、見えるものに流されてしまうからです。流された瞬間に小さな疑いの芽が植え…
キリスト教信仰
主が与え 最近はこの御言が心に留まっています。 ヨブ記 1:21 そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。 それは、今更ながら僕はこれまで与…
キリスト教信仰
主を知ることこそが信仰のはじまり 昨日は、赤ちゃんが死ぬ可能性が高いと言われている状況の中でも、主はいつでも癒すことができるお方であるということを書きました。なぜクリスチャンはそう思えるのでしょうか。それは主について知っ…
キリスト教信仰
何のために生きるのか? 多くの人は命が直線系と考えていると思います。死と同時に線がそこで終わってしまうのです。しかし、素直に自分の心や魂の声に耳を傾ければ、自分の命が終わるということほどの矛盾と違和感はないと思います。な…
キリスト教信仰
イエス様の生き方 昨日は、「なぜ、まだ生まれてもいないのに死ぬことを考えないといけないのか?」ということを書きました。しかし、これはキリスト教信仰では原則の一つでもあります。僕はそのことをこれまで深く考えずに生きてきたの…
キリスト教信仰
なぜ自分は? 自分自身が試練の中を通っている時に「主は良いお方」や「主は気前のいいお方で良いことをしてくださる」という言葉を聞くと反射的に素直にその言葉を受け入れられないということを経験しています。もちろん、主は間違いな…
キリスト教信仰
その原因を罪に見出す 昨日は「人は変わらない以上、歴史は必ず韻を踏む」と書きました。文明の進歩によって人は変わったように思います。実際、一人当たりの知識、寿命、生産性などは右肩上がりです。しかし、人間の本質的なところは何…