1493_墓前礼拝で体験した静かな説教の迫真性 | 大自然の中で聴く御言の重み
墓前礼拝 昨日は教会での礼拝が終わってから、墓前礼拝なるものがありました。墓前礼拝については過去も何度か書いていますので、そちらを参考にしていただけると幸いです。 0388_墓前礼拝に参加して 0745_2023年の墓前…
キリスト教信仰
墓前礼拝 昨日は教会での礼拝が終わってから、墓前礼拝なるものがありました。墓前礼拝については過去も何度か書いていますので、そちらを参考にしていただけると幸いです。 0388_墓前礼拝に参加して 0745_2023年の墓前…
キリスト教信仰
レーナ・マリアさん 先日、教会の子どもたちを引率してレーナ・マリアさんのコンサートに行きました。このコンサートがあると聞いた時、とても懐かしい気持ちになりました。なぜなら、僕がまだ中学生くらい?の時に母がレーナ・マリアさ…
キリスト教信仰
二通りのクリスチャンの生き方 二通りのクリスチャンの生き方ということについて今日も続けます。一つは完全に、あるいはできる限り主の似姿に変えられるべく、できる限りこの世のコンテンツに触れない生き方、一つはこの世のコンテンツ…
キリスト教信仰
主は真実な心を求めておられる 先日のブログで主は嘘偽りのない真実な心を求めておられ、礼拝ではその心が大切だと書きました。 1452_福音派の教会は古典的な聖歌で賛美し、ペンテコステ派はワーシップソングで賛美する そのこと…
キリスト教信仰
本質的なところにおいては同じ 何度もブログで書いていますが、僕は今は福音派の教会に行っていますが、母教会はペンテコステ派でした。これらは、キリスト教信仰における「信仰によって救われる」や「福音宣教をする」や「キリストの再…
キリスト教信仰
感情は中立的なもの 僕は未だに自身の「感情」の取り扱いについて正解をもっていません。感情は中立的なものであって悪いものでもいいものでもないと思っています。しかし、信仰的側面から考えるなら、感情は時に信仰の邪魔をすると考え…
キリスト教信仰
自分が救われる前にどうであったか? 僕が尊敬している牧師先生はよく説教で「自分が救われる前にどうであったか?」ということをよく話されます。救われる前の悲壮なエピソードがいくつかあります。聞いている者からしたら「またこの話…
キリスト教信仰
ペンテコステ派の礼拝 現代のペンテコステ派の礼拝の見える部分だけにクローズを当てると、世間一般のライブと何が違うのか?という疑問が起こるかもしれません。もちろん、クリスチャンであれば霊的領域をフル開放して礼拝の中で臨在さ…
キリスト教信仰
自分でやった 僕はいつも「すべて主の恵み」と思って歩みたいと願っていますが、油断するとすぐに「自分でやった」と思ってしまう愚かさを持っています。例えば先日はこのような心の変化がありました。 最近は仕事で業務がパンパンな状…
キリスト教信仰
3パターンの人 数十年間、教会や様々なコミュニティーでクリスチャンとして生きてきた中でわかったことがあります。それは、クリスチャンには3パターンの人がいるということです。 変わらない人 変わった人 変わり続ける人 僕が見…
キリスト教信仰
信仰生活のインプットとアウトプット 信仰生活にとってアウトプットは非常に重要です。アウトプットがあるからこそインプットが強化されます。アウトプットには教会における奉仕だけでなく日常生活、社会生活の実践などが含まれます。ま…
キリスト教信仰
定量化された祈りの時間 先日の日曜日は教会の奉仕がありました。そこで教えられたことを自分の反省も込めて書こうと思っています。定量化することは決してよくないのですが、僕はこの奉仕をするにあたって毎回最低3時間の祈りの時間を…
キリスト教信仰
一人で祈り続けて祈りぬいた時 このブログでは何度でも書いていますが、僕はペンテコステ派の教会で救われましたが今は福音派の教会に行っています。いくつかの事情が重なって福音派の教会に行くようになりました。当時、教会を変えるこ…
キリスト教信仰
小さな子供が「イエス様大好き!」 僕は37歳のおっさんでアラフォーでええ年こいていますが、イエス様が大好きです。小さな子供が「イエス様大好き!」とか女性が「イエス様愛しています!」というのは微笑ましくて絵になります。しか…
キリスト教信仰
地域の子供向けのイベント 先日は教会のCSで地域の子供向けのイベントを開催しました。外部向けのイベントは他の奉仕と比較して非常にやりがいがあります。なぜなら、福音宣教に直結しているからです。そこで語られた御言や賛美、イエ…
雑感
ルーティンをすることで安心感がある 先日子供と一緒に散歩に行きました。散歩ルートは毎回同じで、彼にもルーティンがあるみたいで毎回同じことします。 まずしばらく行ったところに生えているねこじゃらしを一本抜いて自分の虫かごに…
キリスト教信仰
すべての罪は無知からくる 最近の自分の体験を通じて思ったことが、無知ほど恐ろしいものはないということです。すべての罪は無知からくるのだとも思います。そして、信仰生活とは日々、聖書や祈りや体験の中で自分の無知を神様に教えて…
キリスト教信仰
余計なもの 信仰生活を送っていると、どうしても余計なものが入ってきてしまいます。余計なものとは自分自身にほかなりません。神様に完全により頼むことが勝利の信仰生活の秘訣だとわかっていても、生活の中で、様々な状況や場面におい…
キリスト教信仰
敬わないといけない理由 先日、ペテロ第一の手紙を読んでいた時に不思議に思った聖書箇所がありました。それはこちらです。 同じように、夫たる者よ、知識に従って妻とともに暮らし、女はか弱い器であるから尊敬しなさい。彼らもまた、…
キリスト教信仰
久しぶりの自由な時間 先日、だいぶ久しぶりに嫁さんが子供を連れて友達と遊びに行くことになりました。ということはつまり、一人の時間があるということになります。一人の父親としてどうかとも思いますが、正直に書くと一人の時間があ…