二通りのクリスチャンの生き方
二通りのクリスチャンの生き方ということについて今日も続けます。一つは完全に、あるいはできる限り主の似姿に変えられるべく、できる限りこの世のコンテンツに触れない生き方、一つはこの世のコンテンツに積極的に触れながら生きる生き方です。
これはどちらがどうのこうのいうつもりはありません。それは言った瞬間に律法主義に陥ってしまうからです。それは昨日も書いた通り主の御言に従うということは内発的なものだからです。だから、この問題はどこまでいっても「自分とイエス様との個人的な関係でのこと」だと思います。
大きな失敗
ここまで書いておいて僕は最近犯してしまった大きな失敗のことを書こうと思います。それはライブに行ったことです。以前から好きだった海外のインストバンドが6年振りに来日するというのでチケットを優先予約を昨年したのでした。そして無事チケットはとれ、3月に行ってきたのです。
体調もあまりよくなかったので直前まで行こうかどうか悩んだのですが、せっかく高いお金を払って手にいれたので見ないわけにはいきませんでした。実際ライブに行って、僕は音楽が奏でる素晴らしい精神世界の中に引き込まれてしまったのです。
ここで少し弁護しておくと、このバンドはマスロックやエモと言われるジャンルでヘビメタのよう悪魔崇拝、あるいは何か政治的、宗教的に何かを主張しているわけではありません。自然の風景や雰囲気や感情の機微な変化などを高度に音楽で表現しているだけのバンドと、僕は理解していました。
わずかなコンテンツへの傾倒
しかし僕の心は完全にもっていかれていました。その理由の一つは彼らが高度な演奏をミスなく完璧にしたからです。二つ目はこの世界観を音楽によってつくった彼らの能力を賛美してしまったからです。この時、実は僕の心は主から離れ始めていたことを僕は気づいていませんでした。
それからの数日間、僕は調子が悪くなってしまいました。何より怒りっぽくなってしまったり、感情的になってしまうことが増えてしまったのです。それから僕は聖書を読み、祈る中で、「このわずかなコンテンツへの傾倒」が僕を主から引き離しているということを教えられました。
悔い改め
僕は主の前に悔い改めました。今僕があるのは主のおかげであると言いながらも、他のもに心を奪われることをゆるしてしまったからです。そして、そのことに気づかせてくださった主に感謝しました。今回、古い自分の姿を見せられていかに自分が主なしでは生きられない存在であるかということも身に染みて感じました。