0689_信仰歴が長いだけの残念なクリスチャン
ヤコブの生涯 皆さんは創世記に出てくるヤコブの生涯を見てどのような感想を持つでしょうか?次男として生まれたのに、長男の特権を与えられてずるい。ずる賢くて卑怯だ。多くの物質的な繁栄を享受して羨ましい。最後のエサウとヤコブと…
ヤコブの生涯 皆さんは創世記に出てくるヤコブの生涯を見てどのような感想を持つでしょうか?次男として生まれたのに、長男の特権を与えられてずるい。ずる賢くて卑怯だ。多くの物質的な繁栄を享受して羨ましい。最後のエサウとヤコブと…
以前と比べてどのくらいましになった? 昨日は以前と比べてだいぶましな人間になったと個人的には思っていますが、それでも、まだまだ大量の砕かれないといけない肉が自分に存在しているため、それを聖霊の力によって無力化していく必要…
肉に勝つ力 昨日はキリストは霊であるにもかかわらず、この地上にいる時間においては、人間は霊的な存在であり、かつ肉体ももっているので、肉と戦い続けないといけない厳しい現実があると書きました。そして、その肉との戦いの土俵に立…
悔い改め キリスト教には「悔い改め」という言葉があります。クリスチャンは罪を犯したと感じた時、自責の念に駆られる時、良心が痛む時、神の前に出て悔いて改めをします。人生における最初の悔い改めは救い主イエス・キリストを心に受…
信仰は自分のものか? 所属している教団の機関紙に「救いも信仰もすべて主から与えられたもの」と記載されていました。確かにそのとおりだと思いました。もし、「自分の信仰」というマインドがあると、きっとその人は自分の信仰を誇るよ…
イエス様こそが喜び クリスチャンにとっては周知のことなのですが、今日改めて、主イエス・キリストこそが自分の喜びであり、楽しみであることを実感しました。身の回りには自分にとって魅力的と思えるコンテンツが溢れていますが、到底…
聖書を読むこと 聖書の御言は覚えないと意味がないとずっと考えています。聖書を読んでいる時は鏡で自分の姿を見るように、現実の自分の姿がわかります。そこではじめて聖書の価値観と現実の自分にギャップがあることがわかるのです。し…
日常の試練 日常生活において、普通に生活を送っていたら、おそらく誰でも必ず試練がくると思います。試練というのは困難な仕事そのものであったり、内面の葛藤、あるいは、この先の不安に対してどのように立ち向かうのか、などがあると…
クリスチャン同士の結婚式 先日、高校時代の友人であり、クリスチャンの友でもある同世代の友達の結婚式に参加しました。式、披露宴ともに会場は結婚式場だったのですが、式から披露宴まで終始イエス・キリストがおられることを感じるこ…
すべては恵み 昨日は、主の力によって肉の働きを無力化することこそがクリスチャンの生き方と書きました。その生き方をする中で、僕は「自分」という罠に何回もかかったことがあります。それは、聖書の御言を読んで、覚えて、身体に編み…
肉の働き 誤解を恐れずにいえば、イエス・キリストに出会ったのちも僕を含む多くのクリスチャンが聖書とおりに歩めてない場合が多いのではないでしょうか。なぜなら、イエス・キリストに救われたのちも、この地上ではこの肉体をもってい…
無意識的有能 「無意識的有能」という言葉があります。意識しなくてもできている(能力がある)状態のことです。何もすごいことではなくて、誰でも無意識的有能を持っています。例えば、車の運転を習得する時を見てみましょう。 最初車…
体の不調 最近、ひどく怠惰になっている気がします。晩御飯を食べてからの過ごし方に関しては自分を律することができるようになりました。だらだらテレビを見たりスマホを触ったりして、うっかり深夜になってしまったという事態は避ける…
心に平安がない クリスチャンであっても祈っているにもかかわらず、また聖書を読んでいるにもかかわらず、心に平安がこないという状況に陥ることがあります。これまで、自分の人生でもそういった時期が少なくありませんでした。そういっ…
説教を聴いて 先日Youtubeで牧師先生がこんなことをおっしゃっていました。「キリストの大きな恵みと愛に圧倒されて、自分自身の生き方が180度変わる体験があります。しかし、それ以降は自分自身でイエス・キリストを選択し続…
退勤後は嬉しいはずだが 数週間前、仕事が終わった時に違和感を感じたことがありました。仕事の業務から解放されて「自由だ~!」という気持ちは少しもなかったのです。おそらくその時は、怠惰な生活を送っていて退勤後の過ごし方が異常…
人を祈りに向かわせるもの 先週末センター試験が終わりました。おそらく多くの日本人が学問の神様などにお参りに行ったことでしょう。受験中は誰にも頼ることができず、すべて自分にかかっています。しかも正真正銘の一発勝負です。いく…
セルグループ 今日は礼拝後セルグループの集まりがありました。年齢別のグループではなく、割と珍しい地域割りのグループです。教会周辺を4つの地域に分けてグルーピングしているので、様々な年代の人がいます。単純に縦割りをしている…
もし救われていなかったら? 自分がどのようなところから救われたかを定期的に思い出すととても恵まれます。「もし、あの時救われていかなったら?」や「もし、あの時イエス・キリストに出会っていなかったら?」というように自問自答す…
新年聖会 今日は教団の新年聖会があり、大きな恵みに与りました。多くの霊的な糧とチャレンジを頂きました。特にデボーションの方法について具体的に学びました。デボーションとは個人的に主の前に出て、聖書と祈りと賛美を捧げることで…