1346_安定した家庭生活の秘訣
嫁さんの機嫌を損ねない 安定した家庭生活の秘訣について最近思うことがありました。その秘訣とは、家庭においては嫁さんの機嫌を損ねないようにすればある程度うまくいくというものです。もしかしたら、世の中の家庭の旦那さんももれな…
嫁さんの機嫌を損ねない 安定した家庭生活の秘訣について最近思うことがありました。その秘訣とは、家庭においては嫁さんの機嫌を損ねないようにすればある程度うまくいくというものです。もしかしたら、世の中の家庭の旦那さんももれな…
無教会主義はあり得ない キリスト教の考えの中には無教会主義と言われるものがありますが、個人的にはあり得ない考え方だと思っています。もしかしたら、ある人は「個人的に聖書の教えを自身の生活に適用したいだけだから教会はいらない…
自分はできていると思う 人間はどうも「自分ではできていると思う」というバイアスがかかりやすい生き物のようです。聖書を見れば律法学者やパリサイ人などはまさにそうでした。全く天の父の心を知らず実行もしていないのに、自分たちは…
教会の奉仕で失敗 先日、教会の奉仕で失敗してしまいました。教会で開催された外部子供向けのイベントで司会を任されていたのですが、そこで100%の力を出し切れなかったのです。だいたい毎回冒頭にPPTのアニメーションで作った渾…
クリスチャンになれば 誤解を恐れずに言えば、クリスチャンになれば、いつも心に平安があって幸せで楽しい日々が待っているというわけではありません。クリスチャンになっても、いや、なったからこその悩み、苦悩、苦しみがあることがあ…
一人で祈り続けて祈りぬいた時 このブログでは何度でも書いていますが、僕はペンテコステ派の教会で救われましたが今は福音派の教会に行っています。いくつかの事情が重なって福音派の教会に行くようになりました。当時、教会を変えるこ…
すべて神の霊感を受けて書かれたもの 聖書の御言はすべて神の霊感によって書かれたものだと書かれています。 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 テモテへの第…
部屋が汚くなる 自分の調子が悪くなってくると必ずそれが目に見えるところに現れてきます。僕の場合は、まず部屋が汚くなってしまいます。別に足の踏み場がなくなるほど散らかるということはないのですが、全体的に整理整頓されなくなっ…
成長する秘訣は「悔い改め」 以前ブログでクリスチャンとして成長するための秘訣として「悔い改め」が鍵になると書きました。 1239_クリスチャンが成長する秘訣は「悔い改め」 では、どのようにして悔い改めることができるのでし…
縦の関係と同じように横の関係もとても大切 自分の人生に問題が起こった時、あるいは心揺り動かされ思い煩いそうになる時、誰かにそれを話しして共に祈り合えることほど幸いなことはないと思います。なぜなら、信仰生活とはいえ、一人で…
誰も自分を犠牲にしたくない 昨日は「僕は一体1年でどのくらいの時間を主イエス様と共に歩んでいるのだろう?」という自問から、自分が如何に主と共に歩んでいないかということを書きました。さらに、僕はどのようにしたら主と共に歩め…
どのくらいの時間を主イエス様と共に 自分の信仰生活を見てて「僕は一体1年でどのくらいの時間を主イエス様と共に歩んでいるのだろう?」と思うことがあります。もし日曜日だけ自分のやりたいことを置いておいてイエス様に集中するよう…
自身の可処分時間 ここ最近ずっと日常の引力ということについて書いています。ここで書いている日常の引力とは決してどうしてもやらないといけない仕事や家庭のことなどではありません。なぜなら、それらは日常生活を営む上でやらないと…
日常の引力とは 僕は自分がすぐに日常の引力に引かれてしまってイエス様と共に歩むことから離れてしまいやすいものです。僕にとっての日常の引力とは、言い換えれば自分のやりたいこと、好きなことです。神様第一とわかっていながらも、…
一人自由時間 先日の土曜日は久しぶりに半日の一人自由時間がありました。数か月に一回あるかないか程度なので毎回いつも楽しみにしています。だいたいは、銭湯に行ったり、ランニングに行ったり、どこかへ行って本を読んだりすることが…
パン種 最近教えられたことがあります。それは与えられた信仰に人間側で何かを足したり引いたりすることはだめだということです。例えば、過ぎ越しの祭で食べるパンはパン種が入っていませんでした。聖書でイエス様はパリサイ人のパン種…
可処分時間の大部分を仕事や家庭のために使う クリスチャンは日曜日は聖日や主日と言ったりします。これは、月曜日から土曜日までの6日間とは全く違う一日として聖別しているからです。もちろん、月曜日から土曜日もクリスチャンは日々…
予感、実感、確信 信仰をもつには過程があると思うのですが、それはこの三つの言葉で説明できると思います。それは、予感、実感、確信です。それは自分自身の経験や聖書の人物から見てもそういった過程を経て信仰に至ったのではないかと…
人生は判断で決まる 最近よく思っていることがあります。それは、僕がもし創造主の存在を知らず、またこの魂が救われていない状態であったならば、きっと多くの判断のミスをしてきただろうということです。 比較的人生の方向に大きな影…
神さまと共に歩んでいないということ 昨日は教会が祝福されなくなる原因の一つに兄弟姉妹を愛していないということを書きました。それは当然です。なぜなら、目に見える兄弟姉妹を愛さないのであれば、目に見えない神様を愛してはいない…