1324_頭ではわかっていても人は当事者になると結局感情で動く

人生は判断で決まる

最近よく思っていることがあります。それは、僕がもし創造主の存在を知らず、またこの魂が救われていない状態であったならば、きっと多くの判断のミスをしてきただろうということです。

比較的人生の方向に大きな影響を与える進学、就職、転職、結婚などの判断はもちろんのこと、家庭や仕事や友人関係などにおいても、信仰をもっていたからこそできた正しい判断が少なくなかったと思います。

感情が判断の大部分を占める

というのも、多くの場合人は理性によって判断をするのが難しいからです。例えば、他人のことなら客観的に正しい判断ができるのに、自分のことになると客観的な正しい判断ができなくなることがあります。

その理由としては、人は結局感情で動くからです。どれだけ理性的であり、頭ではわかっていたとしても当事者になったとたんに感情が判断の大部分を占めることになるのです。

神様がもっていってくださる

その感情にはどのようなものがあるでしょうか?結婚に関しては、誰かに対する強い好意が理性的な判断を鈍らせるかもしれません。また不安や恐怖心などが間違った判断をさせるかもしれません。

クリスチャンとしての生き方が幸いなのは、そういった感情に本人がもっていかれないように神様がもっていってくださるということです。

たとえば、主の前に出る時、祈る時、聖書の教えを黙想する時、感情の鎖から解放されます。それは聖霊が働いてくださっているからです。霊と肉はトレードオフの関係になっていて、霊の力が強まれば肉の力は必然的に弱まるのです。

主が与えてくださる判断はすべては恵み

また、創造主なる主がすべてを治めてくださっていて、その方が共にいてくださっているという圧倒的な信頼感は、不安や恐怖心をぬぐい去ります。

だからといって、クリスチャンがすべてのことにおいて、いつも正しい判断ができるわけではありません。当然人間は完璧ではないからです。

だから僕はこういった主が与えてくださる判断はすべては恵みだと思っています。神様の愛が深いゆえに、憐れみ深いゆえに、主が特別に人生介入してくださっているのです。

創造主であるお方だけが、一人ひとりに必要な物、事、判断をご存じです。この激動の時代に主に任せて人生を送ることができるのは何にも勝る幸いです。

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