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微差の積み重ねは絶対差
僕は子どもの頃ほとんど勉強してこなかったので、地頭がよくありません。ようは基礎学力がないのです。しかし、大人になってから「微差の積み重ねが絶対差になる」や「時間を味方につける」といった言葉を信じてこれまで歩んできました。こういった言葉は遅効性しかありません。すぐに目に現れて結果には現れないので、早くて数年~3年、おそければ5年以上かかる場合もあると思います。
しかし、何か一つでも微差の積み重ねが絶対差になる体験をしたら、その習慣をほかの者に適用していけばいいだけなので、あらゆる面で楽になってきます。スキルを身に着けるのも、ダイエットをするのも、すべては微差の積み重ねなのです。
毎日マナを食べる
それは神様との関係も同じだと思います。おそらく多くのクリスチャンは定期的に教会に行って礼拝したり、聖書の学びをしたり、兄弟姉妹と交わったりして、その中におられるイエス様を体験していると思います。
そこにクリスチャン生活に微差の積み重ねを導入するとどうなるでしょうか。たとば、毎日とは言わないまでも、1週間に聖書の言を一つでも覚えることができたなら、それが絶対差になってきます。それは決して知識の絶対差ではありません。恵みの絶対差です。恵みの言葉をいつでも、どんなときでも、自分の口から出せることは人生の大きな助けとなり恵みとなります。
次に、もし、毎日、神様の御前に出て祈る習慣があればそれも絶対差になります。それも恵みの絶対差です。神様との深い愛の交わりの中にいることこそがクリスチャンの喜びです。クリスチャンは天国を渇望していると思いますが、天国は神様を礼拝して、神様と顔と顔を見合わせて交わるところです。それがクリスチャンの喜びなので、主を慕い求めるのです。
選択し続ける恵み
とはいいつつも、言うはやすし、行うは難しです。筋トレや勉強の習慣くらいは自分の意志でどうにか継続できるのですが、この日常生活では肉との戦いがあるので、いつでも、主を選択し続ける意志が必要になるからです。そして、それは確かに自由意思を与えられた人間側の責任です。こういった戦いに勝つ秘訣は、「恵みによって神様を選択できるように」祈り続けることだと
肉に負ける時というのは、ほんの少しの意思決定もミスがほとんどです。あの時にああしていれば、主との交わりの時を損なうことがなかったのにと思うことがあります。今日も仕事が終わってから主との交わりの時間を必ずもちます。