0732_信仰生活はマラソンではない
信仰生活はマラソンに例えられる 人生はマラソンに例えられることがあります。信仰生活もまたマラソンに例えられることが多いです。たとえ、イエス・キリストを受け入れて、劇的に返られたとしても1年で信仰をやめてしまったら信仰のマ…
信仰生活はマラソンに例えられる 人生はマラソンに例えられることがあります。信仰生活もまたマラソンに例えられることが多いです。たとえ、イエス・キリストを受け入れて、劇的に返られたとしても1年で信仰をやめてしまったら信仰のマ…
神を選べばいいだけなのに 僕はクリスチャンとして生きていますが、「神様を選び続けるという一見簡単に思えることがなぜできないのか」ということに悩むことがあります。この世的なものや自己中心的なものを選ばずに神様を選べばいいだ…
タイマーが鳴る 僕には昔から一人の時間が無くなると、余裕がなくなってしまう性質があります。別に一人の時間が好きだというわけじゃないのですが、一人の時間がなくなるとウルトラマンの胸にあるタイマーがなるがごとく、自分の中で緊…
教会のバザー 先日教会でバザーが開催されました。僕は初めての参加だったのですが、思った以上にかなり楽しむことができました。食べ物ですと、ベーグル、ケーキ、クッキー、焼きそば、お餅などがあり、普通にお店で販売されているもの…
自分が撒いたもの 日常生活を送っているとこういった言葉に囚われる時があります。「身から出た錆」とか「自分が撒いたものは刈り取る」といった言葉です。この言葉の前に何の言い開きもできません。なぜなら、たとえ能力不足とはいえ、…
環境が変われば人は変わる ある面において、「環境が変われば自分が変わる」というのはあると思います。良い人間関係が育める友だちがいる。また学習環境の整った学校に行くのと、殺伐とした心の貧しい集団ばかりがいるところで、ろくに…
マネジメントの原則 マネジメントの原則の基本に「人の弱みではなく、強みを見る」というのがあります。にもかかわらず、おそらく多くの人は「人の弱さを見てしまう弱さ」があるように思います。人の弱さを見るのは簡単です。目の前に起…
混ざりあったもの 僕はコーヒーが好きで、毎日必ず数杯飲みます。もっぱらブラックでミルクも砂糖も入れません。時々、とっても疲労感を感じた時だけ甘いカフェオレを飲みたくなります。このカフェオレはブラックコーヒーに牛乳と砂糖を…
定期点検項目 クリスチャン生活の中で、定期的に欠かせない作業が2つあると感じています。一つは、「神がこれから必ずなしてくださる新しいこと」に目を向けること。もう一つは、「神がこれまでになしてくださったこと」にも目を向ける…
意思決定で人生は決まる 人生は意思決定によって決まると言っても過言じゃありません。小さいところで言うと、毎日何を食べるか?という小さな意思決定の積み重ねによる健康や家計への影響。大きいところだと、どこに進学するか?どこに…
Chat GPTの衝撃 先日AIツールであるChat GPT4がリリースされました。SNSなどでもかなり話題になっています。人間でも回答に窮する変化球の効いた質問に対しても、ユーモア込めつつ正確に回答しており、本当に人間…
負荷テストであらわになるもの 昨日の負荷テストに続けます。人は負荷テストによってはじめて自分が何を考えているかを自分で自覚することができます。いくら黙想や静かな時間や内省の時間をもっていたとしても、その時に思っていること…
製品の負荷テスト あらゆる製品は品質を担保するために様々な負荷テストがなされます。例えば、数万回落としても壊れないとか、±80度までの環境でも壊れないとか、多くの指標によってテストされそれに合格した時にはじめて世に送り出…
とりなしの祈り 30代後半にして、今更ながら、ようやく「とりなしの祈り(誰かのために祈ること)」の味が少しづつわかってきました。聖書には愛がなければすべてはむなしいと書かれています。たとえ、命を投げ出す犠牲的な行動があっ…
愛がないのなら、愛すればいいだけ 鶏が先か、卵が先かの問題と同じなのですが、「愛があるから愛するのでしょうか?愛するから愛があるのでしょうか?」一見、愛があるから愛するものだとも思えそうですが、決してそうではないと思いま…
若い頃の純粋な信仰に戻りたい 最近、神様に出会ったあの若かった頃に戻りたいと思うことがありました。あの時は本当に純粋に神様だけを求めていたからです。世の中にも出ていなかったので、擦れておらず、まさに幼子のような気持ちで神…
見えないものを見る生き方 キリストの恵みにより魂が救われたからといって、必ずしも人生順風満帆になるというわけではありません。たとえ、目に見えるところはうまくいっていなくても、失望の連続であったとしても、キリストの命が与え…
自分に釣り合わない給料 僕は謙遜でいうのではなくて、本当に無能で社会不適合者です。ただ、たまたま雇用主が僕に価値を見出してくれたおかげで、社会生活を送らせて頂き、自分の能力には釣り合わない給料をもらってしまっています。 …
とげの人 僕には僕にとってとげだと思っている人がいます。僕は何度もこのとげだと思っている人を遠ざけてくださいと主に祈りましたが、その度に、「ゆるす」という言葉を与えられて、実際に受け入れるということをしてきました。この過…
主観がすべて 当然のことですが、人は主観で生きています。それは自分だけが自分の人生を生きているからです。だからこそ、自分に言われた言葉に一喜一憂したりします。自分が受け手で、自分がそれを感じるのです。嬉しいことも悲しいこ…