人間側に求められる賢さ
技術の発展により世の中が便利になる一方でその弊害は必ずあります。光が強ければ強いほど影も暗くなるからです。この世界に存在しているもので悪いものはありません。すべての使う側の人間に判断がゆだねられているのです。
すべてのものは正しく使うなら人間に有益をもたらします。もし日常的にモルヒネを使うと中毒になりますが、正しく使えば人から激痛を取り除くことができます。インターネットの登場からAIまで、それ自体は悪いものではなく、使う側に賢さが求められます。
無益を得るか、益を得るか
身近なものでもそうです。Youtubeはコンテンツ作製者にとっても視聴者にとっても革命的なサービスとなりました。しかし、もし、Youtubeで一時的な享楽的コンテンツばかり見てしまうと、人生で誰にでも平等に与えられており、価値のある時間を溶かすことになることにもなります。それよりもたちが悪いのは、場合によっては「ねたみ」や「嫉妬」や「ひがみ」といった感情が生成されやすいことだと思います。
しかし、自分の目的にあったコンテンツから学びや価値を得ることができれば人に有益です。
提供側の意図を知る
スマートフォンはその最たるものだと思います。スマートフォンは人間と一体化していると言っていいほど、人間に最も近い存在になっており、そこからほとんど何でも手に入れることができます。
もし自分自身に軸もなく、重心も低くなく、流されるがままにスマートフォンを使うならば、必ず何の益にもならないコンテンツの渦の中で時間を溶かすことになります。
今から書くことはそれぞれ人の価値観の違いであり、余計なお世話だと思うのですが、電車の中で若者からおじさんまでスマホでゲームをしているのが異様な光景にしかみえません。何か特別な目的意識のない、時間を溶かすだけのゲームほど無駄なことはないと思ってしまいます。
ゲームには課金していなから大丈夫と思っていても、ゲーム開発側からすれば、アクティブにログインしてくれるだけで価値があり、さらにゲームに時間を使ってくれればそれで万々歳なのです。
各種アプリケーション開発者や広告側は人間の行動学を徹底して研究しているので、人間をいかに興奮させ、引きつけ、感情を高めるかを知っているのです。ようは感情を操作されてしまうのです。
日々、クリックするかの戦い
何が言いたいかというと、これから、様々な便利なものが現れてくると思いますが、それらを賢く使う人と流されるがままに逆に使われる人とで二極化していくんだと思います。
僕自身できるだけ前者でありたいと思いますが、LINEのとてつもなくつまらないゴシップニュースを見て、時々クリックして見てしまうことがあります。そのたびに、ニュース元にトラフィックを与えてしまったことと、無駄に感情を刺激するようなニュースで見て損したと思うことがあります。
どうか、そういった衝動に対して、冷静に判断し、正しく判断できるように祈りたいと思います。