0782_納期通りに納品できなくて誰も非難する立場にはいない

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人を非難する時

人を非難したくなる時とはどういう時でしょうか?色々あると思います。相手に明らかな非がある時、相手の失敗を目にした時、相手がやるべきことをやらなかった時、自分が相手よりも高い位置にいると思っている時等があると思います。

もしくは相手関係なく、ただたんに自分自身がむしゃくしゃしていたり、不平不満が溜まっていたり、イライラするので、誰かに当たりたくて批判するということもあるかもしれません。

後者は相手にとっては、全く理不尽な批判ですが、前者は最ものように思います。特に仕事においては契約関係にあるので、自分も厳しく見られますし、自分も厳しく見る必要があるからです。

誰も非難できる立場にはいない

しかし、感情を露出した批判は何の益にもなりません。たとえ感情を出していなくても批判すること自体は全く生産的ではありません。なぜなら、それは関係を破壊するからです。

もし、相手を痛烈に批判することによって相手を動かし、仕事をしているなら、きっとその人の周りからは人がいなくなっていくでしょう。なぜなら、どれほど立派な人で、誰も人を批判できる立場になど以内からです。

自分は正しいという思い

とは言いながらも、僕は先日、久しぶりに強く言いそうになってしまいました。開発がもともとのスケジュールから3週間遅れていました。そして、ようやく出てきたものが、共有していたお客さんの仕様のとおりに全くなっていなかったのです。僕はお客さんのリリース日に間に合わないかもしれないという恐怖とお客さんに怒鳴られる不安に襲われました。

脳内でこのような言語が回りました。「こっちは仕様の資料を作成してきちんと共有していた。納期も3週間遅れても大丈夫なように調整していたのに、それでも間に合わないのは開発が悪い!またお客さんに怒られるじゃないか!どうしてくれるんだ!」と。

非難よりも相手のために祈ること

脳内でこういった言語が流れると自分がすごく感情的になっているのがわかりました。これは良くないと思ったので、一旦気分転換をしてから、部屋で一人で祈りました。すると、神様はこのようにおっしゃいました。「開発の方のために祈りなさい。」

その時に、自分の正論を感情と共にぶつけても全く意味がないと思いました。そして、今回は確かに自分には非がなくて、相手に非があったかもしれませんが、それは今回がたまたまだったかもしれません。次は僕自身が開発に迷惑をかけることが大いにありうるからです。

僕はその時の自分の状態だけを見て相手を非難しようとしましたが、全体で見た場合、僕もいつでも避難されても仕方のない存在だと思いました。

何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
ピりピ2:3-4

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