1056_体中に針が30本くらい刺される経験をして
はじめての鍼灸 昨日は鍼灸院に行く意思決定の過程を描きましたが、今日は鍼灸院での出来事を書こうと思います。僕のこれまでの針を体に刺されるという経験は注射と献血くらいしかありませんでした。ましてや複数の針を体に刺されるとい…
はじめての鍼灸 昨日は鍼灸院に行く意思決定の過程を描きましたが、今日は鍼灸院での出来事を書こうと思います。僕のこれまでの針を体に刺されるという経験は注射と献血くらいしかありませんでした。ましてや複数の針を体に刺されるとい…
鍼灸院に行くことになったきっかけ 先日友人が院長を務めている鍼灸院で人生初の鍼灸をしてもらいました。彼の職場と僕の職場は一駅しか離れていないので行こうとは思っていたのですが、ずっと先延ばしになってしまっていました。彼とは…
これまでどれほどの人を躓かせてきたのだろうか 先日子供を保育園に送るため自転車をこいでいた時にこのようなことを思いました。 「これまで人生のほとんどをクリスチャンとして歩んできたけど、これまでどれほどの人を躓かせてきたの…
引照付き聖書 高校生から真剣に聖書を読み始めて以来、最近初めて引照を参照しながら聖書を読んでいます。引照とは引照付き聖書にのみ記載されてものになります。僕が使っている聖書アプリには同様の機能はないので、おそらく紙版の聖書…
説教者として一番やってはいけないこと 昨日はCSの説教が終わりました。今回の説教でも僕自身が学ばせてもらいました。自分ばかりが学んで果たして若い人たちがイエス様に近づくためになる御言が語れているのだろうかとも思います。 …
サムエル記上が面白い 昨日も書きましたが今はサムエル記上を読んでいます。サムエル記上はサムエルの奇跡的な誕生からサムエルが最後の士師として歩み、サウル、ダビデと王が立てられる物語として読んでも非常に面白い書物です。もちろ…
モーセ五書はおもしかった 今は通読でサムエル記上を読んでいます。これまでモーセ五書と言われている「創世記」、「出エジプト」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」はかなり興味深く読むことができました。実際、モーセ五書を読む中…
雲行きが怪しい 2週間前から1日に1時間祈るという課題を自分に課しています。一週目は順調で1日1時間の祈りができていました。1時間といっても、1回あたり1時間の日もあれば30分と15分と10分と5分で総計1時間という場合…
説教の準備での葛藤 教会でCSなどの説教を準備する時に葛藤が起きることがあります。自分自身が祈りや聖書を読む中で教えられ、かつシェアすべきと聖霊の導きを感じた箇所を語る形式は特に問題ないのですが、聖書箇所が決まっている場…
意識的有能の段階が難しい 昨日は、聖書の言葉を実行できるようにするための具体的な方法論として、下記のような過程を経ると書きました。 無意識的無能:聖書を読んでおらず、できていないことがわかっていない状態 意識的無能:聖書…
どうすれば聖書の言葉を行えるようになるのか 個人的な経験上、聖書の言葉を実行してそれを自然と行えるようになるには常に戦いがつきものだと思っています。つまり、信仰に不戦勝はないということです。戦いがあると聞くと尻込みしそう…
過去の祈りのスタイル 僕が若かった頃は祈りといえば「主よ~!」と大きな声で祈り求めるスタイルが当たり前でした。それは僕がペンテコステ派のバックグラウンドをもっており、そのような環境にいたのでそれが当たり前だと思っていたか…
祈りの時間はタブー? 昨日は1日に1時間祈ることを習慣にするということを書きました。こういうことを書くと、もしかしたらある人は、こう言うかもしれません。「主との交わりはそもそも自発的にするものなので1時間とか強制的にやろ…
祈りの習慣 今年の自分が身に着けたい習慣に新しいものを追加しました。それは「少なくても1日に1時間祈る」というものです。教会などでは祈ることの大切さは語られますが、じゃあ実際に何分祈るのか?どのように祈るのか?といった具…
人は自分の罪を低く見積もる これはあくまでも僕の仮説ですが、「人は自分には罪がないと思う。もしくは悔い改めるほどの罪はもっていない」と思う傾向が著しく強いのではないかと思っています。これはあくまでも自分を見て思った傾向で…
子供と過ごす時間 先日、こどもと二人っきりで過ごす時間がありました。大人だと決して思いつかいないような意外な発想でなんでもやってみようとする姿勢は見ていてとても面白いです。ただその一方で「お願いだからもうやめてくれ」と思…
この街で 先日出勤途中オフィス街を歩いている時にこんなことを思いました。高層ビルや近代的な建物が立ち並び、多くの人はわれ先と無言で急ぎ足で歩いています。この街を見る限り神様が存在していることなどに思いを馳せるのは難しいと…
イエス・キリストを知っている イエス・キリストについて知っていることとイエス・キリストを知っているのとでは全く違います。たとえ信仰がなくてもイエス・キリストについて知っている人は多くいると思います。しかし、信仰は人から聞…
オンライン交流会 先日、中国関連のクリスチャンの交流会にオンラインで参加しました。今年はもう一度中国語に力を入れようと思っていた矢先、以前中国でお世話になった宣教師の先生から交流会の連絡があり、これは神様の導きだと信じて…
王なる主 今日礼拝で賛美していた歌詞に「王なる主」という言葉が非常に印象に残りました。それは王なるお方の前に立てる人はどういった人だろうか?と考えたからです。普通に考えたら、特別な人や地位の高い人だけが王様の前に立つこと…