0702_夫たる者は妻に仕え、子供に仕える
上に立つ者 この世界は治める者と治められる者との二者が必ずいます。治める資質と品性と能力を持っている人が上に立てば安泰ですが、持っていない人が上に立つと悲劇しかありません。上に立つというのは、重要な役割であり、大きな責任…
上に立つ者 この世界は治める者と治められる者との二者が必ずいます。治める資質と品性と能力を持っている人が上に立てば安泰ですが、持っていない人が上に立つと悲劇しかありません。上に立つというのは、重要な役割であり、大きな責任…
クリスチャンと自称するなら クリスチャンの生き方とは、下記の御言のような生き方です。 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい…
新しいチャレンジに対して 皆さんは、例えば、仕事や教会や家庭などで新しいプロジェクトや奉仕や役割が与えられる時、どのように気持ちになりますか。よし、やったろ!と気合が入る場合もあれば、果たして自分につとまるのだろうか?不…
需要が先か?供給が先か? 卵が先か鶏が先かという議論があります。例えば、需要と供給においても、需要があるから供給が生まれるのか、供給があるから需要が生まれるのか、それはどちらとも言えます。たとえば、僕が中国にいた時、職場…
魂の状態 自分の魂の状態をいつも良い状態にしておくことがクリスチャンには求められています。もし魂の状態が恵まれていなければ、そこから決して命の泉が湧き上がることはないからです。もし、命の泉は湧き上がっておらず、干上がって…
ありたい姿 誰でもきっと「ありたい姿」と「現実の姿」にギャップを感じているものだと思います。なぜなら、もし「ありたい姿」がなければ、人としての成長がとまってしまうからです。どれだけ素晴らしい教育と血筋を引き継いでいたとし…
やらないと意味がない すごく当たり前のことですが、「知っている」のと「できている」のとでは全く違います。例えば、僕は先日、早寝早起きの習慣の本を読んだのですが、早速翌朝から8時くらいまで寝てしまいました。読んでも知識を得…
ヤコブの生涯 皆さんは創世記に出てくるヤコブの生涯を見てどのような感想を持つでしょうか?次男として生まれたのに、長男の特権を与えられてずるい。ずる賢くて卑怯だ。多くの物質的な繁栄を享受して羨ましい。最後のエサウとヤコブと…
以前と比べてどのくらいましになった? 昨日は以前と比べてだいぶましな人間になったと個人的には思っていますが、それでも、まだまだ大量の砕かれないといけない肉が自分に存在しているため、それを聖霊の力によって無力化していく必要…
肉に勝つ力 昨日はキリストは霊であるにもかかわらず、この地上にいる時間においては、人間は霊的な存在であり、かつ肉体ももっているので、肉と戦い続けないといけない厳しい現実があると書きました。そして、その肉との戦いの土俵に立…
悔い改め キリスト教には「悔い改め」という言葉があります。クリスチャンは罪を犯したと感じた時、自責の念に駆られる時、良心が痛む時、神の前に出て悔いて改めをします。人生における最初の悔い改めは救い主イエス・キリストを心に受…
信仰は自分のものか? 所属している教団の機関紙に「救いも信仰もすべて主から与えられたもの」と記載されていました。確かにそのとおりだと思いました。もし、「自分の信仰」というマインドがあると、きっとその人は自分の信仰を誇るよ…
イエス様こそが喜び クリスチャンにとっては周知のことなのですが、今日改めて、主イエス・キリストこそが自分の喜びであり、楽しみであることを実感しました。身の回りには自分にとって魅力的と思えるコンテンツが溢れていますが、到底…
聖書を読むこと 聖書の御言は覚えないと意味がないとずっと考えています。聖書を読んでいる時は鏡で自分の姿を見るように、現実の自分の姿がわかります。そこではじめて聖書の価値観と現実の自分にギャップがあることがわかるのです。し…
日常の試練 日常生活において、普通に生活を送っていたら、おそらく誰でも必ず試練がくると思います。試練というのは困難な仕事そのものであったり、内面の葛藤、あるいは、この先の不安に対してどのように立ち向かうのか、などがあると…
クリスチャン同士の結婚式 先日、高校時代の友人であり、クリスチャンの友でもある同世代の友達の結婚式に参加しました。式、披露宴ともに会場は結婚式場だったのですが、式から披露宴まで終始イエス・キリストがおられることを感じるこ…
すべては恵み 昨日は、主の力によって肉の働きを無力化することこそがクリスチャンの生き方と書きました。その生き方をする中で、僕は「自分」という罠に何回もかかったことがあります。それは、聖書の御言を読んで、覚えて、身体に編み…
肉の働き 誤解を恐れずにいえば、イエス・キリストに出会ったのちも僕を含む多くのクリスチャンが聖書とおりに歩めてない場合が多いのではないでしょうか。なぜなら、イエス・キリストに救われたのちも、この地上ではこの肉体をもってい…
無意識的有能 「無意識的有能」という言葉があります。意識しなくてもできている(能力がある)状態のことです。何もすごいことではなくて、誰でも無意識的有能を持っています。例えば、車の運転を習得する時を見てみましょう。 最初車…
体の不調 最近、ひどく怠惰になっている気がします。晩御飯を食べてからの過ごし方に関しては自分を律することができるようになりました。だらだらテレビを見たりスマホを触ったりして、うっかり深夜になってしまったという事態は避ける…