1190_「きよくなりたいのか?」
豊かな心の人生 僕はずっと「豊かな心の人生」というのを求めていました。それは物質的なものに囚われず、この世的なものに執着せず、ただただ豊かなお方であるイエス様に満たされるという生き方です。僕にとってはこれは幸せな道であり…
キリスト教信仰
豊かな心の人生 僕はずっと「豊かな心の人生」というのを求めていました。それは物質的なものに囚われず、この世的なものに執着せず、ただただ豊かなお方であるイエス様に満たされるという生き方です。僕にとってはこれは幸せな道であり…
キリスト教信仰
「信仰継承」という言葉 キリスト教界隈ではよく「信仰継承」ということが話題になります。親の世代から子の世代へと信仰を引き継いでいく。逆から言えば子が親の信仰を受け継ぐということになります。でも、これは以前も指摘しています…
キリスト教信仰
けしからん! 昨日、僕は聖書を読んでいてわからない時にGPTに聞いて補助的に利用していることを書きました。この利用方法には賛否両論があると思います。多くの教職者、先生、クリスチャンの方は「けしからん!聖書のことをAIに聞…
キリスト教信仰
聖書を読んでいてわからない時どうする? おそらく多くのクリスチャンや教職者の方には抵抗感があると思いますが僕は聖書を読んでわからなかった時にGPT-4oで確認することをたまにしてます。ここで先に伝えておきたいのはAIは完…
キリスト教信仰
思ったことを言わない 最近、訓練されていると感じることは「思ったことを言わない」ということです。思ったことを言うことは別に悪いことではありません。思ったことが建設的な場合は人に共有することで、学び、気づきなどの価値を提供…
キリスト教信仰
御心ならば 先日このような賛美があることを知りました。歌詞がすごくよかったので共有いたします。 御心ならば 御心ならば 進み行きます そうでないなら 立ち止まります すべては主の 言われるままに おぉ主よ 従います 主よ…
キリスト教信仰
恵みとまことを受けるに足りない者 僕はヤコブのこの御言を心に留めています。 あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。 創世記32:10 今の僕があるのはすべてイエス様の救いがあったか…
キリスト教信仰
霊的な状態 信仰生活をしていると自分の霊的な状態が刻一刻と変わるのを感じます。どれだけ祈って力に満たされたと思っても心の平安が奪われるような話や出来事が起こってきます。どれだけ日曜日の礼拝で魂が恵まれたとしても、その次の…
キリスト教信仰
教会は神の家 教会は本当にいいところだと思っています。もちろん、教会ならではの問題やややこしさ、人間関係のわずらわしさなどがないわけではありません。しかし、それは人間が集まるところなのであって当然だと思います。ただ一つ、…
キリスト教信仰
パターン① 信仰生活はある人にとっては容易なもので、ある人によっては困難なものだと思います。容易、困難と二つの軸から見た場合、さらに3つに分けられると思っています。まず容易だと思っているパターンです。 パターン①は、そも…
キリスト教信仰
奉仕したあと 皆さんは奉仕をしたあといつもどのような気持ちになるでしょうか?奉仕した自分自身の魂が恵まれて「あーやってよかった!」と思える日もあれば、失敗や人から言われた言葉にしょんぼりしてしまうこともあるかもしれません…
キリスト教信仰
教会の人間関係 先日は教会における人間関係には神様の特別な恵みや祝福があるということを書きましたが、今日もそれに関することを書こうと思います。個人的な経験によると教会における人間関係は入り込めば入りこむほど、肉における側…
キリスト教信仰
今日祈れるのは 以前も書きましたが、今自分が祈ることができているのはただ単に今いる環境がいいから祈れているのではないか?と思うことがありました。あるいは今日はいいことがあったからとかいい気分だから祈れているだけなんじゃな…
キリスト教信仰
説教の奉仕 先日は教会のCSで数か月に説教をしたのですが、とても魂が恵まれる体験をしました。説教の奉仕はとても不思議です。仕事だと準備したら準備した分だけのパフォーマンスがでますが、説教の場合は必ずしもそうじゃありません…
キリスト教信仰
主の祈り 先日教会で主の祈りを告白している時に思ったことがありました。 「わたしたちに罪を犯した者を赦しましたから、 わたしたちの犯した罪をお赦しください。」 いつもなんとなく告白していた祈りの言葉ですが、果たして日常生…
キリスト教信仰
ある人が持っている教義 先日こんなことを思いました。それは「塩狩峠の主人公の生き方を考えたら教派ってどうでもよくなる」ということです。それはつまり、それぞれがそれぞれに主張がありますが、ここ、要、クリスチャンとしてどう判…
キリスト教信仰
自分の祈り 自分の祈りを客観的に聞くときに思うことがあります。それはいかに願い事が多いか?ということです。願い事から始まり願い事で終わっていることが多いのです。それは決して悪いことではありません。しかし、当の本人は何も思…
キリスト教信仰
自分の気持ち クリスチャンであると「自分の気持ちに対して正直になる」ということが難しく感じることがあります。なぜなら、クリスチャンの生き方というのは罪深い自分自身の徹底的な否定の連続だからです。聖書にあるように日々自分の…
キリスト教信仰
本を読むにも導きがある 先日、本田弘慈先生の「聖化の恵み」という本を読む機会を与えられました。僕は本を読むことに関しても主の御心の導きを信じています。なぜなら、これまで何度も「今この本が読めてよかった」「今の自分に必要だ…
キリスト教信仰
豊かなクリスチャン人生 豊かなクリスチャン人生を送るためにはいくつかの秘訣がありそうです。ここでいう豊かなとは「魂がいつも恵まれている」ことを指します。または魂が満たされているともいえるかもしれません。恵まれていることと…