0628_キリストが必要のない人
愛のことば 最近はコリントⅠ13章の御言をよく黙想しています。この箇所はキリスト教の結婚式では必ず朗読される聖書箇所です。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、…
愛のことば 最近はコリントⅠ13章の御言をよく黙想しています。この箇所はキリスト教の結婚式では必ず朗読される聖書箇所です。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、…
読む祈りはありか? 教会が変わってからもう3年以上になるのですが、今の教会に行くようになって違和感を感じたことが一つだけあります。それはお祈りの時に事前に用意していた祈祷文を読む人がいるということです。以前の教会ではこう…
神が働かれるところ 先月から色々な人と会っていまが、改めて聖書の神様は人間との関わりの中で働いてくださるお方だと思うようになりました。一般的な宗教の場合だとどうでしょうか。もしかしたら、一心に自分の聖さだけを追求するので…
恵みの中を生き続けること 最近、よく思わされているのは「恵みからもれないように」ということです。キリストを心の中にお迎えした者は神の恵みよって生きることができます。この恵みによって生きるということは、一見簡単のように思い…
なぜイエス・キリストを求めるのか? なぜ人はイエス・キリストを求めるのでしょうか。そんなことはクリスチャンじゃなくてもわかっていることかもしれません。それは「救い」が必要だからです。天地創造されて以来、イスラエルの長い歴…
高いビルを見て 先日友人に会いに電車で隣町に行ってきました。そこは市街地中央から電車で30分ほど離れたところで、そこそこ開発が進んでいてきれいな街でしたが、人通りの少ない寂しい街でした。 ただ、よく目にするそんな地方都市…
神の掟 聖書は神の言で、御言と言われています。一言に御言といっても聖書では様々な言い方がされています。例えば、みことば、神の言、み教え、おきて、悟りなどの表現があります。特に詩篇119編には多くの表現があり、特におきてと…
義認信仰は容易? クリスチャンにとっても当たり前のことですが、クリスチャンは行いによって義とされることはありません。また、行いによって神様が豊かに働かれるかどうかが決まるわけでもありません。ただただ、一方的な神の恵みによ…
什一に関して 先日、自分の中ですごい罪深さを覚えることがありました。什一に関してです。どちらかといえば本音で言っても僕はお金に執着しないタイプの人間です。会社でも給料をあげなくていいから休みをもっとほしいとゆっているくら…
肉の性質 決して救われているだけで満足しているわけではなく、イエス様が自分に対して現わしてくださった愛をもって生きたいと強く願っています。しかし、日常生活で自分を見るとそのような愛は持ち合わせていないことを深く知ることに…
中国の宣教師 先日、今所属している教団の冊子を目にしていたところ、見覚えのある顔が目に入りました。その人の書いている文章を見ているとどうも中国に宣教に行っておられたことのある先生のようです。記憶を研ぎ澄ましていくと、よう…
きかれるに時がある 神の御心に沿った祈りは必ずきかれます。もちろんすべてのことには「神の時」があります。ある時は、祈り手が整うために主が待っておられることもあるでしょう。またある時は、周りの環境が整うまで待たないといけな…
きかれる祈り 皆さんの祈りは神様にきかれているでしょうか?おそらく、きかれた祈りもあれば、現在も忍耐をもって待ち望んでいる祈りもあると思います。今日は、神様に絶対にきかれ、かつ人生を豊かにする祈りを自分の体験談から紹介し…
悪魔のせい 先日Youtubeで説教を聴いててとても納得のいったことがありました。クリスチャンは往々にして、特に聖霊派に多いのかもしれませんが問題が起こった場合に悪魔のせいにする傾向があると思います。 それは集会の中で、…
思い出すこと 自分がどういったところから救われたかをことあるごとに思い出すようにしています。聖書にはこのように書かれています。 「義を追い求め、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。 あなたがたの切り出された岩と、 あなたが…
いつでもイエス様に頼ることができる 日々生活をしていると、イエス様が共にいると言いながら、イエス様と共に1日を過ごそうとしていないのは自分のほうだと気づかされます。生活のあらゆる場面で、イエス様に頼ればいいのに自分の力で…
ぬるま湯の日々 最近はブログで気が抜けているとか日常に緊張感がないなどと書いていました。僕自身は常在戦場の精神ではなく、安逸の場所で楽に生きようとしているのではないかと感じ始めていました。今日の教会で語られた御言が今の自…
キリストが共にいること 先日ふとした時に、キリストと共に歩むことと彼に栄光を帰し続ける理由が明確になった気がしたので、書いておこうとします。キリストと共に生きるということは、もう二度と一人で生きることではありません。あら…
刺激と反応の考え方 刺激と反応の間には空間があると言われています。例えば、外部環境からどのような刺激がやってきても、それに対する反応は自分の自由意思によって選択することができるということです。 例えば、理不尽なことや辛く…
救われたのはなんのためか? 聖書には「真理はあなたがたに自由を得させる」という言葉があります。さらに、「あなた方が召されたのは自由を得るためである」ともあります。キリストにより救われたのは自由になるためなのです。ここで一…