0945_日本にリバイバル(霊的覚醒)はなぜ来ないのか?

ずっとリバイバルを求めている

クリスチャンはすべからずリバイバルを求めていると思います。それぞれの立場がどうであれ、それぞれの生活や仕事がどうであれ、イエス様からの大宣教命令はすべての
クリスチャンの生活に適用されるべきだからです。その一方でこのリバイバルを求める過程には忍耐が必要だということも、すべてのクリスチャンが経験しているところだと思います。

なぜなら日本ではクリスチャン人口がわずか1%未満という状況を脱しきれていないからです。神の御心はすべての人が救われることであるにもかかわらず、いわゆる大規模な霊的覚醒は特定の時期や特定の場所でしか起きていないのが現実です。

影響の範囲

主権は神にあるのでその原因をあれこれ議論したとこで何の解決にもならないと思います。僕が最近語られている気がするのは、リバイバルが起きないのではなくてリバイバルが起こる状況になっていないということです。それは、神様が働く条件や環境がまだ整っていないということです。

一人の人間の影響の輪を考えると自分がもっとも影響を与えられる部分は自分自身にほかなりません。他の人や環境は変えられなくても自分は変えることができます。まずは自分に注力すべきです。条件や環境が整っていないというのは、僕がまだ造り変えられないといけない課題が多くあるということです。

整えられる前にリバイバルがきたら

もし、用いられる器として成長せずにリバイバルが起こったらどうなるでしょうか。一瞬にして人が高慢になって霊的だったものが人間的な働きになるでしょう。そして、多くの人をフォローできずに逆に人をつまずかせてしまうかもしれません。結局それが一過性のリバイバルが今後に大きな禍根を残すことにもなるかもしれません。

こういった事情があるからこそ、リバイバルが起こしたくても起こせないような状況にあるのだと思います。僕はつい教会の人の人間関係を見て、いやだな~と思ってしまうことがあります。しかし、その時点でもう負けです。外の迫害を恐れてうちうちになっているから教会内部の人のわずかな言動などが気になってしまうのです。

祈り

僕がしないといけないのはリバイバルを待ち望んで、自分が整えられた器になるように祈ることだけです。小事に不平不満を言わず、人を裁かず、評価されても高慢にならず調子にのらない。日常生活の隅々までを神に捧げて、聖められること。そして、とりなしの祈りのを忍耐をもってし続けるなどがまだできていないのです。

言うは易しですが、神にあってはできると信じます。

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