0948_一人部屋にこもって正座して礼拝する

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説教の聴き方

自分の生活の中に主との交わりを回復するのが今年のテーマです。先日は少しそれに近づいてきたんじゃないかと思うことがありました。僕はこれまであらゆる機会を逃さずに説教を聴くことを絶えずしてきました。母教会の説教を含めて1週間に4~5回くらい聴きます。

聴き方としては何か作業をしながら、ながら聴きすることもあります。時には横になって目をつぶって精聴することもあります。しかし、だいたい礼拝動画の賛美の時間は聴くだけがほとんどでした。ほとんど重きを説教を聴くことにおいていたのです。

姿勢を変える

しかし、先日は違った聴き方をしました。聴き方というより礼拝のスタイルに変えたといったほうがいいかもしれません。まず、自分一人の部屋にこもって正座をします。そしてある教会の礼拝ライブ配信のアーカイブ動画を再生してスマホスタンドに立てます。そして、賛美の時間から同じように声を出して賛美します。説教の時はノートを開いてメモをしながら聴きます。

本当にお叱りをうけそうで恐縮なのですが、ようやく、これこそが礼拝であり、平日にこのような時間をもつことこそが神様が僕に望んでおられることだと確信しました。もちろん、母教会での対面での礼拝では行儀よく賛美し、説教を聴きます。しかし、なぜか、一人の時間での礼拝となると気が緩んでいたのです。

神の臨在

確かに「ながら聴き」や「リラックス聴き」も神様の御言に触れることができるので魂にとってはいい時間となります。本当に恵まれます。しかし、僕が見落としていたのは神様に対する姿勢でした。

当たり前のことですが、神様の臨在とは本来畏れるべきものです。それは旧約聖書に出てくるモーセやイザヤが神様の臨在の前に立った時の状況から明らかです。しかし、いざ自分個人の生活になると、その畏れがなくなってしまい、自分中心主義で神様を求めてしまうという姿勢になっていたのです。

これから

ですので、これからは状況が許すのであれば、説教を聴くときは、自分一人の部屋にこもって正座して、身体も心も魂も正しい姿勢で神様の前に出たいと思いました。僕は決して、神様が今日は姿勢がいいから深く臨在しようとは思っておられないと考えています。ただたんに正しい姿勢になれば僕の心が神様に向きやすくなるからだと思います。

きっと、これからも「ながら聴き」や「リラックス聴き」はすると思いますが、神様との個人的な関係の回復には正しい姿勢は欠かせないと感じたため実行していこうと思います。

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