0815_僕の主観が神様の存在を決めていた信仰生活時代
イエス様との交わり イエス様との個人的な関係の中で昨年から自分が変わったと思うところがあります。これまではイエス様との愛の関係というと、僕の中では礼拝や祈りの中で主に触れられて涙を流したり、深く感動したりすることでした。…
イエス様との交わり イエス様との個人的な関係の中で昨年から自分が変わったと思うところがあります。これまではイエス様との愛の関係というと、僕の中では礼拝や祈りの中で主に触れられて涙を流したり、深く感動したりすることでした。…
この世の楽しみ 僕はイエス様に出会う17歳になるまでは、この世のことも楽しんで、キリストの恵みに与る生き方が一挙両得でいいと思っていたことがありました。しかし、それはイエス様に出会って全く変わりました。イエス様と共に歩む…
主の祈り 先日は教会で2回目のCSの説教でったので、今回も1週間前から祈りつつ準備を始めました。今回の聖書箇所はマタイによる福音書6章9節~13節です。ここはイエス様が弟子たちに祈りのお手本を示された「主の祈り」という非…
救われてからの心の変化 僕がイエス様に出会った体験をした時、決して「これでこの地上で幸せに生きれる!」とか「心配も不安もなく平安に生きられる!」というように思ったわけではありません。ただただ、「このイエス様の愛に応えたい…
堅い食物 聖書には乳のような飲みやすい霊の食物もあります。のどが渇いた時にちょうどよくごくごく飲めるものです。しかし、その一方で堅いがゆえに、食べられない、あるいは、できれば食べたくない霊の食物もあります。例えばこの御言…
成長しているか 最近このようなことを強く思わされています。それは、神様は多くの恵みと祝福を用意してくださっていますが、もし、十字架の救いだけの恵みに留まり続けてしまうのなら、成長が止ってしまうということです。もちろん、人…
CSのイベント 先日の土曜日は教会でCSのイベントがありました。僕は子供の頃から物事を斜め上から見る異常に心がひねくれた人間だったので、集団で何かをするイベントとかをすごく冷たい目で見る子供でした。魂が救われてからはそう…
霊的なだけではだめ 僕は大学生の時に、主に仕えることや主を賛美することが馬鹿らしいとまでは言わないまでも、この繰り返しに果たして意味があるのか?と思ってしまったことがあります。当時は歪んだ信仰感を持ってしまっていて、メン…
ある本 先日、「イエスの血潮を宣言する祈り」という本を入手しました。この本はある説教者が説教の中で「血潮を宣言する祈り」と言及していた本です。そんな本は全く聞いたことがなかったのですが、調べてみたところこの本を探し当てま…
クリスチャンになっていなかったら 今朝、通勤途中でふと「クリスチャンになって本当によかった」と思いました。もしクリスチャンになっていなかったら、つまり、イエス・キリストと出会っていなかったら、僕の今ある人生は絶対にありま…
信仰生活のスタート 人はイエス様の救いを心に信じて義とされて口に告白した時に救われます。それに伴う儀式として洗礼式がありますが、救いに至るのは人それぞれです。ある人は洗礼を受ける前に礼拝の中で深くイエス様に出会う体験をさ…
スモールグループ 今日は教会のスモールグループでBBQをしました。合計で20名くらいの参加者がいてとても楽しい時間を過ごすことができました。礼拝が終わってから、みんなで教会前にBBQのコンロを並べ、テントを張り、街中であ…
現代のリバイバル 少し前、アメリカのアズベリーでリバイバルが起こったことが話題になりました。大学の礼拝堂で礼拝が終わらない状態になったのです。しかもこれまでのように「遠くの国で起こったらしい」リバイバルではなく、今回はY…
主の導き イエス様が人生を導いてくださるという素晴らしい恵みが当たり前のように思ってしまうと、「もし導かれていなかったら…」に思いを巡らすことはあまりないと思います。しかし、イエス様が確かに導いてくださってい…
大きな傘を持っておられるお方 神様は良いお方なのに、なぜこんなにも人生には悲しみや苦しみが満ちているのだろう。これは誰もが思ったことがあることだと思います。それに対して、僕はこれまで明確な答えをもっていませんでした。天国…
人を非難する時 人を非難したくなる時とはどういう時でしょうか?色々あると思います。相手に明らかな非がある時、相手の失敗を目にした時、相手がやるべきことをやらなかった時、自分が相手よりも高い位置にいると思っている時等がある…
日本の福音派 日本のキリスト教会は危機的な状態にあると言われています。コロナ禍で閉鎖した教会も多くあります。実際僕が所属する教団の教会も残念ながら閉鎖が決まった教会があります。そして、献身者が非常に少なく、牧師先生も圧倒…
祈りは至福の時? 僕の母教会の先生は本当によく祈る人でした。先生はよく「祈ることほど至福の時はない」とおっしゃっていました。僕はその時、確かに僕にとって祈りは恵まれる時だし、なくてはならないものだと思っていましたが、「至…
母教会から離れて 僕は3年ほど前から母教会から離れて、様々な理由により別の教会に行くようになりました。当初別の教会に行く案がでた時は、不安、恐れ、心配、悲しみなどが自分の中にあり、決して喜ばしいことではありませんでした。…
二者択一の中で 僕自身がイエス様の方向をしっかり見つめている時は、僕の魂は主に飢え渇いて、よく主を求めます。それは決して日曜日だけではなく、仕事がある平日においても電車の中やお風呂の中、あるいは寝る前に自分の部屋にこもっ…