サウルの失敗から賜物と召しの扱いを学ぶ | 選ばれた後に崩れる要因分析
サウルに関して 今は通読でサムエル記上を読んでいます。サムエル記上の前半はサウルに関する記述が多くあります。サウルは初代イスラエルの王という誇り高い立場を得ましたが、あっという間に王位を退けられることになります。それは彼…
キリスト教信仰
サウルに関して 今は通読でサムエル記上を読んでいます。サムエル記上の前半はサウルに関する記述が多くあります。サウルは初代イスラエルの王という誇り高い立場を得ましたが、あっという間に王位を退けられることになります。それは彼…
キリスト教信仰
異言は当たり前という環境 昨日は異言の祈りについて少し書きました。今日も続けます。僕はペンテコステ派の教会で救われたので異言は当たり前という環境で育ちました。自身が小さかった頃は何も思わなかったのですが、理性が発達してく…
キリスト教信仰
福音派の教会における異言の解釈 今日はキリスト教会では比較的センシティブな話題である異言について語ろうと思います。このブログでは何度も書いているとおり、僕のバックグラウンドはプロテスタントのペンテコステ派にあり、現在は福…
キリスト教信仰
聖書にはヨハネが何人かいる 今朝は通勤時にヨハネによる福音書を読んでいました。ヨハネによる福音書は恐らくもう100回以上読んでいると思いますが、新しい気づきがあたえられました。聖書にはヨハネという名の人物が大勢登場します…
キリスト教信仰
聖霊の満たし 僕はバックグラウンドがペンテコステ派ですので、聖霊の満たしを信仰生活の中心として歩んできました。主の前に出て祈るということが当たり前だったので、数時間祈り続けるということも当たり前だと思っていました。実際友…
キリスト教信仰
奉仕観 年をとってから自分の教会での奉仕観が結構変わりました。若かりし頃は、神の前にへりくだって祈って奉仕していたとしても、やはり力が入りすぎていたり、俺が俺が感が少なからず出ていたと思います。そして礼拝に関しては、その…
キリスト教信仰
聖霊によらなければ 僕は様々な経験を通して、クリスチャンというものは本当に聖霊によらなければ正しく生きることはできないということを体験してきました。聖霊によらずに信仰生活をするととても恐ろしい状態に陥いります。 一つは主…
キリスト教信仰
聖書のビフォーアフター 新約聖書はイエス・キリストの生涯が様々な視点から書かれた福音書から始まって使徒の働きやパウロの手紙、そして黙示録で終わります。そこに登場する人物はほとんどみな、イエス・キリストに出会う前と後が明確…
キリスト教信仰
成長しているか 最近このようなことを強く思わされています。それは、神様は多くの恵みと祝福を用意してくださっていますが、もし、十字架の救いだけの恵みに留まり続けてしまうのなら、成長が止ってしまうということです。もちろん、人…
キリスト教信仰
神が喜ばれる祈り 神様が喜ばれる祈り、神様に聞かれる祈りと神様がお喜びにならない、神様に聞かれない祈りがあります。もし、主の聖霊に満たされることなく、主と一つになることがなければ、人は自分勝手な祈りしかできません。誰かた…
雑感
ランニングで見える景色が変わった 今年からランニングを再開させてまた新たなフェーズに入りました。今までは往復で8キロが限界だったのですが、片道5キロで一回区切り、往復10キロくらいまで走れるようになりました。長い距離が走…
キリスト教信仰
以前と比べてどのくらいましになった? 昨日は以前と比べてだいぶましな人間になったと個人的には思っていますが、それでも、まだまだ大量の砕かれないといけない肉が自分に存在しているため、それを聖霊の力によって無力化していく必要…
キリスト教信仰
刺激と反応の考え方 刺激と反応の間には空間があると言われています。例えば、外部環境からどのような刺激がやってきても、それに対する反応は自分の自由意思によって選択することができるということです。 例えば、理不尽なことや辛く…
キリスト教信仰
聖霊の働き① イエス・キリストが天の父に願い、送ってくださった助け主である聖霊は、静かな深い喜びを与えてくれます。完全に乾ききって地割れした不毛な心でも、命の泉が流れる時に、潤されていくのです。その流れは圧倒的な勢いで、…
キリスト教信仰
最近は、バークレー・バックストンの書籍を読み漁っています。数年前より、いのちのことば社から著作集が出版されており、彼の信仰や考え方は書籍を通して学ぶことができます。 バックストンは19世紀末、日本で福音宣教活動に従事した…