1590_死で終わらない前提が生き方の軸を決める | 直線的人生観を問い直す視座
何のために生きるのか? 多くの人は命が直線系と考えていると思います。死と同時に線がそこで終わってしまうのです。しかし、素直に自分の心や魂の声に耳を傾ければ、自分の命が終わるということほどの矛盾と違和感はないと思います。な…
キリスト教信仰
何のために生きるのか? 多くの人は命が直線系と考えていると思います。死と同時に線がそこで終わってしまうのです。しかし、素直に自分の心や魂の声に耳を傾ければ、自分の命が終わるということほどの矛盾と違和感はないと思います。な…
キリスト教信仰
人の命は直線か円を描くのか? 人の命は直線か円を描くのか?いずれの認識をもっているかで生き方が変わると思います。直線系の人生とは生まれた瞬間から死ぬまで一直線になっており、死と同時に直線が終了するというものです。自身の財…
キリスト教信仰
イエス様の生き方 昨日は、「なぜ、まだ生まれてもいないのに死ぬことを考えないといけないのか?」ということを書きました。しかし、これはキリスト教信仰では原則の一つでもあります。僕はそのことをこれまで深く考えずに生きてきたの…
キリスト教信仰
その原因を罪に見出す 昨日は「人は変わらない以上、歴史は必ず韻を踏む」と書きました。文明の進歩によって人は変わったように思います。実際、一人当たりの知識、寿命、生産性などは右肩上がりです。しかし、人間の本質的なところは何…
キリスト教信仰
超大型ブーメラン 僕は昨日、ソロモンが書いた箴言に対して「お前が言うな!」という感想を書きました。それは彼が誘惑する女性には気をつけろ!と書いていたにも関わらず、彼自身は多くの女性の誘惑に負けてしまい、偶像礼拝に加担する…
キリスト教信仰
ソロモンの箴言 最近は夫婦で箴言を通読しています。箴言は主にソロモンの知恵、教訓などが書かれていますが、処世術的なことも書かれています。つまり、信仰的なことだけにはとどまらない原理原則が記されているので、クリスチャンじゃ…
キリスト教信仰
サイクル この世界の原則の一つにサイクルがあります。人生の時間経過は直線ではないと思います。生を受けたと同時に突如として線が現れて死と同時に線が途切れるというようなものではないと思います。むしろ、四季がめぐるようにぐるぐ…
キリスト教信仰
クリスチャン誰もが経験しうること 昨日はクリスチャンとは主の恵みの中を生きるものでありながらも、簡単に恵みから落ちてしまい、時には恵まれている人さえも妬ましく思ってしまう汚さを持っていると書きました。これは他人のことを書…
キリスト教信仰
ブログをやめようと思った ここ2か月、僕はこのブログを何度かやめようと思ったことがあります。今ある試練の中でとてもじゃないけど信仰的なことは書けないと思うようになったからです。これまで1500日ほど続けてきたから続けたい…
キリスト教信仰
たといそうでなくても 嫁さんのお腹の中にいる赤ちゃんはずっと羊水が全くない状態で生きています。医者から言われているメインシナリオでは赤ちゃんが生まれても肺が低形成のため、息ができなくて死んでしまうと言われていました。 そ…
キリスト教信仰
「青年の信仰」で終わらない 連日、信仰の成長について書きました。僕が書いたのはクリスチャンホームの場合の信仰です。彼ら彼女らの場合は「幼子の信仰」から「青年の信仰」へと成長していきます。その中で大切なのはイエス様との個人…
キリスト教信仰
宗教生活 昨日は子どもは「幼子の信仰」から「青年の信仰」へと成長するということを書きました。そして、青年の信仰で必要とされるのは自由意志とも書きました。なぜなら、自分で選択するという体験をしないことには信仰は成長しないと…
キリスト教信仰
正常に育っていない 試練の中で教えられたことを書こうと思います。5月上旬におなかの中にいる赤ちゃんが正常に育っていないことがわかりました。どうも尿道が閉塞しており、膀胱におしっこが溜まっているようだったのです。その結果、…
キリスト教信仰
お通夜のような気持ち 昨日に続けて自身の置かれている試練について書きます。今お腹の中にいるこどもは生まれたと同時に亡くなる可能性が高いと言われています。そのような状況の中で日常生活は変わらず過ぎ去っていきますが、毎日嫁さ…
キリスト教信仰
そう思っていると思っているだけ 自分がそう思っていると思っていても実際は全く思っていないということがあると思います。たとえば、僕は霊においてはひどく肉を嫌悪していると思っていますが、実際は実はそうではないということを知る…
キリスト教信仰
イエス様がいてくださっている 今、我が家は比較的大きな問題の中にいます。しかし、その中でも「幸いだ。感謝だ。」と思えることが少なくありません。それはひとえに今も生きておられるイエス様が共にいてくださるからです。しかし、そ…
キリスト教信仰
思っていませんでした 僕はこれまでずっと「主を愛して、いつも主と共に生きたい」とは思っていませんでした。むしろ主と共にも生きたいけど、自分の好きなようにも生きたいと思っていました。ある時は主と共に生きたいけど、ある時は生…
キリスト教信仰
霊的な戦い 最近、自身が常に霊的な戦いの中にいると思わされています。霊的な戦いといっても、別に「悪霊をうせよ!」とか「霊的な鎖から今すぐ解き放たれよ!」とかいうようなものではありません。 ただ、二つの声のどちらに聞き従う…
キリスト教信仰
不信仰の心 正直に話すと僕の心の中には不信仰の心が湧き上がってくることがあります。こんなことを書くと「お前はそれでもクリスチャンか!」と言われそうですが、実際にそうなのです。なぜなら、僕は霊によって生きていると同時にこの…
キリスト教信仰
主の力 ここ数日、主に立ち返ってから自分の考え方が変わりました。それは主にある平安と誰も奪い去ることのできない喜びが心に溢れているからです。現在においても、はたからみたら見えるところの現状はよくありません。また現実も厳し…