語れる内容と語るべき内容は別問題 | 説教者に求められる自己否定
説教者として一番やってはいけないこと 昨日はCSの説教が終わりました。今回の説教でも僕自身が学ばせてもらいました。自分ばかりが学んで果たして若い人たちがイエス様に近づくためになる御言が語れているのだろうかとも思います。 …
キリスト教信仰
説教者として一番やってはいけないこと 昨日はCSの説教が終わりました。今回の説教でも僕自身が学ばせてもらいました。自分ばかりが学んで果たして若い人たちがイエス様に近づくためになる御言が語れているのだろうかとも思います。 …
キリスト教信仰
サムエル記上が面白い 昨日も書きましたが今はサムエル記上を読んでいます。サムエル記上はサムエルの奇跡的な誕生からサムエルが最後の士師として歩み、サウル、ダビデと王が立てられる物語として読んでも非常に面白い書物です。もちろ…
キリスト教信仰
モーセ五書はおもしかった 今は通読でサムエル記上を読んでいます。これまでモーセ五書と言われている「創世記」、「出エジプト」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」はかなり興味深く読むことができました。実際、モーセ五書を読む中…
キリスト教信仰
雲行きが怪しい 2週間前から1日に1時間祈るという課題を自分に課しています。一週目は順調で1日1時間の祈りができていました。1時間といっても、1回あたり1時間の日もあれば30分と15分と10分と5分で総計1時間という場合…
キリスト教信仰
説教の準備での葛藤 教会でCSなどの説教を準備する時に葛藤が起きることがあります。自分自身が祈りや聖書を読む中で教えられ、かつシェアすべきと聖霊の導きを感じた箇所を語る形式は特に問題ないのですが、聖書箇所が決まっている場…
キリスト教信仰
意識的有能の段階が難しい 昨日は、聖書の言葉を実行できるようにするための具体的な方法論として、下記のような過程を経ると書きました。 無意識的無能:聖書を読んでおらず、できていないことがわかっていない状態 意識的無能:聖書…
キリスト教信仰
どうすれば聖書の言葉を行えるようになるのか 個人的な経験上、聖書の言葉を実行してそれを自然と行えるようになるには常に戦いがつきものだと思っています。つまり、信仰に不戦勝はないということです。戦いがあると聞くと尻込みしそう…
キリスト教信仰
過去の祈りのスタイル 僕が若かった頃は祈りといえば「主よ~!」と大きな声で祈り求めるスタイルが当たり前でした。それは僕がペンテコステ派のバックグラウンドをもっており、そのような環境にいたのでそれが当たり前だと思っていたか…
キリスト教信仰
祈りの時間はタブー? 昨日は1日に1時間祈ることを習慣にするということを書きました。こういうことを書くと、もしかしたらある人は、こう言うかもしれません。「主との交わりはそもそも自発的にするものなので1時間とか強制的にやろ…
キリスト教信仰
祈りの習慣 今年の自分が身に着けたい習慣に新しいものを追加しました。それは「少なくても1日に1時間祈る」というものです。教会などでは祈ることの大切さは語られますが、じゃあ実際に何分祈るのか?どのように祈るのか?といった具…
キリスト教信仰
人は自分の罪を低く見積もる これはあくまでも僕の仮説ですが、「人は自分には罪がないと思う。もしくは悔い改めるほどの罪はもっていない」と思う傾向が著しく強いのではないかと思っています。これはあくまでも自分を見て思った傾向で…
子育て
子供と過ごす時間 先日、こどもと二人っきりで過ごす時間がありました。大人だと決して思いつかいないような意外な発想でなんでもやってみようとする姿勢は見ていてとても面白いです。ただその一方で「お願いだからもうやめてくれ」と思…