1164_奉仕したあとに自分の魂が恵まれることを求めている
奉仕したあと 皆さんは奉仕をしたあといつもどのような気持ちになるでしょうか?奉仕した自分自身の魂が恵まれて「あーやってよかった!」と思える日もあれば、失敗や人から言われた言葉にしょんぼりしてしまうこともあるかもしれません…
奉仕したあと 皆さんは奉仕をしたあといつもどのような気持ちになるでしょうか?奉仕した自分自身の魂が恵まれて「あーやってよかった!」と思える日もあれば、失敗や人から言われた言葉にしょんぼりしてしまうこともあるかもしれません…
読書に夢中になるのは盲点だった 先週は意識的に本を読まない一週間にしました。これまでスマホは自分にとって有益な一面は20%ほどで、80%はだいたい時間の浪費になっているので離れなければいけないものだという自覚がありました…
教会の人間関係 先日は教会における人間関係には神様の特別な恵みや祝福があるということを書きましたが、今日もそれに関することを書こうと思います。個人的な経験によると教会における人間関係は入り込めば入りこむほど、肉における側…
長く祈れなくなっている 数十年前に比べると、自身の祈りにおいて霊的な深みがだいぶなくなってきていると感じています。祈っても浅いのです。祈っても待てないのです。祈っても没入できないのです。祈っても集中できないのです。祈って…
今日祈れるのは 以前も書きましたが、今自分が祈ることができているのはただ単に今いる環境がいいから祈れているのではないか?と思うことがありました。あるいは今日はいいことがあったからとかいい気分だから祈れているだけなんじゃな…
教会における人間関係 教会における人間関係は世の中にあるものと少し違います。それは救われた者の神の家族としての関係があります。礼拝や奉仕をする中でキリストを中心として霊的につながっているという感覚はこの世では味わえない特…
信用できるのは自分だけ? あなたは自分自身を信用していますか?あるいは自分自身に失望していますか?ある人は「信じられるのは自分だけだ!」と自分だけを信じる決心を堅くしているかもしれません。一方、ある人は周りの人も信用でき…
説教の奉仕 先日は教会のCSで数か月に説教をしたのですが、とても魂が恵まれる体験をしました。説教の奉仕はとても不思議です。仕事だと準備したら準備した分だけのパフォーマンスがでますが、説教の場合は必ずしもそうじゃありません…
土日の過ごし方 先日の土日はほとんど教会の行事で終わりました。こうかくとネガティブに聞こえますが、不思議にも魂は恵まれていてその週は普段よりも生気に溢れて仕事ができたと思います。土曜日は朝から別の教会に行って活動があり、…
小事に忠実な人は、大事にも忠実 聖書にはこのような言葉があります。 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。 ルカ16:10 人には小さいことよりも大きいことを好む性質がある…
外国語学習が変わる 昨日はGPT-4oがこれまでの生成AIとは一線を画する衝撃的な機能を備えていることを書きました。特に教育業界に与える破壊的なインパクトはまだまだ未知数で多くの業界に影響が出ることが推測されます。 教育…
GPT-4oの衝撃 今週のはじめにOpenAIよりGPT-4oが発表されました。これは、ここ数年間で雨後の竹の子のように現れた生成AIとは完全に一線を画しており、Chat-GPTが発表された時以上の衝撃が走っています。G…
自分を憎んだ者はいない?! 聖書にこのような言葉があります。これは僕にとって長らく理解できない言葉でもありました。 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれ…
仕事終わりに 仕事帰り電車からホームに降りた時にこんなことを思いました。 「目の前にはこんなに多くの人がいるにもかかわらず、僕はこの中にいる人を誰一人知らない。」 人は目と鼻の先にいるにもかかわらず、その人たちは赤の他人…
主の祈り 先日教会で主の祈りを告白している時に思ったことがありました。 「わたしたちに罪を犯した者を赦しましたから、 わたしたちの犯した罪をお赦しください。」 いつもなんとなく告白していた祈りの言葉ですが、果たして日常生…
ある人が持っている教義 先日こんなことを思いました。それは「塩狩峠の主人公の生き方を考えたら教派ってどうでもよくなる」ということです。それはつまり、それぞれがそれぞれに主張がありますが、ここ、要、クリスチャンとしてどう判…
真実ないのりとは? 先日祈っていて自分の祈りが真実かどうかはわからないと思うことがありました。例えば、祈りにおいて心の底から「主を感謝します。あなたの御名を心よりほめたたえます。あなたを愛します。」と思っていても、実は今…
自分の祈り 自分の祈りを客観的に聞くときに思うことがあります。それはいかに願い事が多いか?ということです。願い事から始まり願い事で終わっていることが多いのです。それは決して悪いことではありません。しかし、当の本人は何も思…
自分の気持ち クリスチャンであると「自分の気持ちに対して正直になる」ということが難しく感じることがあります。なぜなら、クリスチャンの生き方というのは罪深い自分自身の徹底的な否定の連続だからです。聖書にあるように日々自分の…
自分が子供だった頃を思い出す 子供と生活していると自分が子供だった頃の気持ちを思い出させてくれます。そういえば自分も子供の頃にこういったことで楽しんでいたな~と思い出すのです。 例えば、カーテンの裏に隠れて自分だけの部屋…