2つの実を結ぶ
クリスチャンはイエス・キリストとともに歩むなら人生において2つの実を結ぶと約束されています。一つは宣教の実、もう一つが御霊の実です。御霊の実についてはガラテヤ書に書かれています。多くのクリスチャンはこの御言を暗唱することができると思います。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
ガラテヤ人への手紙 5:22-23
たとえクリスチャンじゃなくても、この御霊の実を結ぶような生き方がしたいと思うのではないでしょうか。
肉の働き
この御言はこのような実を結ぶような生き方がしたいという願望を起こさせます。一方でこの箇所の前には対比として肉の働きについて書かれています。僕はこれまで、この肉の働きに関する箇所を割とスルー気味にで読んでいました。少なくとも黙想することはありませんでした。
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
ガラテヤ人への手紙 5:19-20
僕は数か月前にはじめてこの御言を黙想しました。そして、この御言も覚えないといけないと思わされて暗唱聖句ノートに書き留めました。その理由としては、この御言が自分のありのままの姿を照らし出してくれる鏡のような役割をしてくれると感じたからです。
偶像礼拝
ざっと読むと自分と全く関係のないと思えるようなものもあれば、自分の姿を現していると思えるものもあることに気づきます。たとえば偶像礼拝を見てみたいと思います。一見、イエス様以外のものに執着することが偶像礼拝になると思いがちですが、聖書を見ると偶像礼拝が示す範囲は非常に広いです。
例えば、コロサイ人への手紙には「貪欲」は偶像礼拝とも書かれています。またサムエル記には「強情」は偶像礼拝の罪に等しいとも書かれています。
大いに身に覚えがある
僕はぞっとしました。なぜなら、貪欲も強情も身に覚えがあったからです。僕はおなかがへると不機嫌になることがあり、仕事が終わってからもお菓子などもよく食べているからです。また、僕はよく言えば芯がある、悪く言えば人の意見を聞かない性質を持っています。だから、人からの助言、神様からの語り掛けに強情で応えようとしないことがあると思いました。
偶像礼拝だけでも該当することがあると思いました。その他も、僕にとっては怒りとかそねみとか敵意とかいつでも起こり得るものだと思わされました。だからこそ、この御言を覚えて自分の中にある肉の働きをチェックして悔い改められるようにしたと思わされました。