1248_はじめの愛に帰るための賛美と祈り | 奉仕の形より心を整える
はじめの愛にかえりなさい ここ数日は「はじめの愛にかえりなさい」という御言が強く迫ってきています。僕自身はじめの愛にかえらないといけないという問題意識はずっと持っていました。しかし、どうやってはじめの愛にかえればいいのか…
キリスト教音楽
はじめの愛にかえりなさい ここ数日は「はじめの愛にかえりなさい」という御言が強く迫ってきています。僕自身はじめの愛にかえらないといけないという問題意識はずっと持っていました。しかし、どうやってはじめの愛にかえればいいのか…
キリスト教信仰
お盆期間中 お盆期間中はずっと体調がよろしくありませんでした。家に帰ったらリビングでごろ寝してそのまま2時間も寝てしまったり、強烈な眠気で21時には就寝したりとそのような毎日でした。今朝はいよいよ体がしんどいので、来客の…
キリスト教信仰
祈りのチャレンジ ここ1年くらいは自分の中で祈りのチャレンジを受けていました。そのチャレンジとはあらゆるところで祈り、あらゆる時に祈るということです。そして、祈らなければいけないではなくて、祈りたい、祈らざるを得ないとい…
キリスト教信仰
神第一として生きる クリスチャン生活をしていく中で必ず通らないといけないことがあります。それは生き方を自己中心から神中心に置き換えるということです。これは書くに易しですが、行うに難しです。それは、たとえ自分が神中心に生き…
子育て
この世界はあまりにも理不尽 先日、嫁さんと子供をどこの幼稚園に入れたらいいか?という話をしていた時に、子供がどのような環境で育ってほしいか?という話に広がっていきました。僕としては、自身が子供の頃、近所のお兄ちゃんに遊ん…
キリスト教信仰
祈りの神殿を立て直す この1年くらいは自身の祈りの神殿を立て直すということを自身の課題として取り組んできました。 0502_シロアリが巣食う家屋のごとくにボロボロになった祈りの神殿 1044_祈りは自発的にするものだ!1…
キリスト教信仰
具体的に変わるために必要なこと 昨日はキリストにあって変わるために関する三つのことを書きました。 キリストにあって自覚させられない限り、変わりたいという願望すらおこらないこともある キリストにあって変わりたいという願望が…
キリスト教信仰
人は変われるか変われないか 人は変われるか変われないかの問いに関してはこのように理解しています。「ある程度までは人間の努力で変えられる。しかし、人間の罪の影響の範囲内にある者に関してはイエス・キリストの十字架によってでし…
キリスト教信仰
福音宣教に直結する働き 昨日はできる限り近い将来のうちに家庭集会をもてるようになりたいということを書きました。これは自分から出たことではなく、祈りの中で与えられた思いでありそのためにはさらなる祈りによる準備が必要であるこ…
キリスト教信仰
家庭集会 最近祈りの中で思うことがありました。それは、家庭集会を始めたいという願いが次第に強くなってきたということです。今の嫁さんとは結婚する前から家庭集会はしたいよねという話をしていました。その理由としては、僕の両親も…
キリスト教信仰
物質的な物を捨てることによるアプローチ 昨日は祈りをより研ぎ澄まされた者にするために断捨離をしていると書きました。それは物質的な物を捨てることによるアプローチなので比較的簡単です。もっとも厄介だと思っている断捨離は頭の中…
キリスト教信仰
断捨離 着々と断捨離を進めています。以前書籍を大量に捨てるとブログに書きました。 1201_【最大規模の断捨離】約300冊の書籍を捨てる決断をした理由 捨てる予定でしたが、量があまりにも多すぎるので、0円で引き取ってくれ…
キリスト教信仰
信仰は成長する? 信仰は成長するものだという先生もいれば、信仰は成長するような性質のようなものではないという先生もいます。後者は「神様を信じる」ということはそれ以上でもそれ以下でもないということなのだと思います。 それぞ…
キリスト教信仰
神の時 今日書くことは以前にもブログで書いたことがある内容なのですが、最近も同様のことを強く思わされているので書こうと思います。これは決して周りや誰かを見てそう思っているのではなく、僕の当事者問題として切実に感じているこ…
キリスト教信仰
聖書にはヨハネが何人かいる 今朝は通勤時にヨハネによる福音書を読んでいました。ヨハネによる福音書は恐らくもう100回以上読んでいると思いますが、新しい気づきがあたえられました。聖書にはヨハネという名の人物が大勢登場します…
キリスト教信仰
信用できない自分 主と共に歩むようになってから信仰生活とは、全くもって信用できない自分を自覚して、信用できる主だけに頼っていきることだとわかりました。このように書くと簡単なように思います。しかし、厄介なのは古い自分の肉の…
生き方
主はいつも違った方法で働かれる 奉仕をする時、いつも不思議だなぁと思うことがあります。それは主はいつも違った方法で働かれるということです。具体的な例を出します。ある礼拝である賛美が非常に用いられたからといって次も同じ賛美…
キリスト教信仰
自分にもたらされた副産物 昨日に続いて平日主と歩む生き方について書きたいと思います。平日も主と共に歩む生活になって自分にもたらされた副産物があります。それは以前から変えられたいと思っていた他の習慣も自然と変えられたことで…
キリスト教信仰
キャパオーバー 今週は久しぶりにおちょこはおろか、ペットボトルのフタ並みのキャパが溢れかえりそうになりました。家に帰ってもやらないといけないことを考えると気持ちが休まらないし、珍しく何回か弱気になってしまいそうになる局面…
キリスト教信仰
聖霊の満たし 僕はバックグラウンドがペンテコステ派ですので、聖霊の満たしを信仰生活の中心として歩んできました。主の前に出て祈るということが当たり前だったので、数時間祈り続けるということも当たり前だと思っていました。実際友…