1218_ペットボトルのフタ並みのキャパが溢れかえりそうになった時

キャパオーバー

今週は久しぶりにおちょこはおろか、ペットボトルのフタ並みのキャパが溢れかえりそうになりました。家に帰ってもやらないといけないことを考えると気持ちが休まらないし、珍しく何回か弱気になってしまいそうになる局面がありました。

ネガティブな言葉を口に出すとそれが強化されてしまいます。仕事が終わった帰りはこのようなことをぶつぶつ言いながら歩きました。

「仕事が与えられていることに感謝します。仕事ができる健康が与えられて感謝します。どんなときでも主をほめたたえます。またあなたが与えて下さる力によって乗り越えることができることを感謝します。実際、今日一日の仕事の中にあなたがいてくださり、あなたの助けが明確にありました。」

信仰告白

こういった信仰告白を実際に声に出してすると本当に力がみなぎってくるものです。それは何の根拠もないポジティブ思考などではなくて、確かに主が心の中にいてくださって励まして助けてくださるということがわかるからです。

と言っても、家に帰ったら何のやる気もなくて、だらだら過ごしてしまいました。しかし、お風呂には入らないといけません。僕はお風呂場を祈りの場所としているので、否が応でも?祈る場所へを導かれます。

力がみなぎる

今週一週間もお風呂で体を洗って洗濯機を回して、風呂場の電気を消しておっさん一人で裸で跪いて祈りました。御言を宣言して祈る日もあれば、ただただ静かにイエス様に思いを集中する日もあります。また、周りの人やとりなしの祈りを集中的にする日もあります。

この祈りの時間は日常の忙しさから僕を別の次元へ連れて行ってくれます。僕を捉えている忙しさや悩みを全く小さいものとしてみることができるようになります。祈る前は心の中が乱れていて、足の踏み場もないほどに散らかった心の中が、祈りが終わるころには整理整頓されて清々しい気持ちで明日をまた生きようと力がみなぎったことは数え切れません。

求めるならば

主は確かに生きておられて、求めるならば必ず助けてくださいます。これは求める者の強者の主張のようにも聞こえますが聖書にもこのように書かれています。

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。
エレミヤ29:11-14

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