聖書の言を行い続けることのしんどさ | イエス様のくびきを負うて学ぶ以外に休息はない
何回でも行わないといけない 昨日は主と共に生きるという決心をした瞬間から霊的な戦いが始まると書きました。そして、その戦いの中で時にしんどさを感じたり、痛みを負ったり、さらには不信仰に陥りそうになることすらあります。 僕が…
イエス・キリスト、十字架、復活、主との関係に焦点を当てた記事をまとめています。
キリスト教信仰
何回でも行わないといけない 昨日は主と共に生きるという決心をした瞬間から霊的な戦いが始まると書きました。そして、その戦いの中で時にしんどさを感じたり、痛みを負ったり、さらには不信仰に陥りそうになることすらあります。 僕が…
キリスト教信仰
清められる必要 最近教えられていることは、自分が清められる必要があるということです。清められることに関してはこのような多くの御言があります。 テサロニケ人への第一の手紙 4:3 神のみこころは、あなたがたが清くなることで…
キリスト教信仰
身体、知性、霊性の三つのバランス 昨日はクリスチャン生活を送るには身体、知性、霊性の三つのバランスをとらないといけないということを書きました。そして、そのバランスをとるのは人間には不可能であり、聖霊に導いてもらわないとで…
キリスト教信仰
万事オッケー! キリスト教界隈ではよくこのような言葉を聞くことがあります。それは「結局、十字架で何でも赦されるやん」というような言葉です。その言葉の裏には「何をしても大丈夫、最後に悔い改めたら万事オッケー!」というような…
キリスト教信仰
主と同じ似姿に変えられる望み 昨日は「主にあって変えられる」ことに関して、下記御言を引用し、主と同じ似姿に変えられるということは怒ることに遅くあるべきであると書きました。それがZero Anger(怒りゼロ)です。 詩篇…
キリスト教信仰
声に出さない祈り 昨日は祈りほどクリスチャンによって理解が異なるものはないと書きました。 https://jesus.tokyo/faith/1860_the-amount-of-time-christians-spen…
キリスト教信仰
弟子たちの書簡 昨日はワンネスというキリストの教義に関して書きました。イエスの名によるバプテスマの方法に関しては聖書に4か所も記述が確かにあるので誰も否定できないと思います。しかし、僕はわざわざそれをワンネスという神観に…
キリスト教信仰
僕の神観 昨日は、自分が父になったことで、天の父の思いに思いを馳せることが多くなったということを書きました。 https://jesus.tokyo/faith/1839_reflections-on-the-heave…
キリスト教信仰
やばい人もいるしいい人 昨日は能力だけではなく、徳や品性と言われるものまでも先天的にある程度まで決まっているということを書きました。こういったことは、あまり言語化されることはなかったかもしれません。しかし、実社会を見ると…
キリスト教信仰
出勤の時に必ずしている習慣 僕は出勤の時に必ずしている習慣がいくつかあります。今日はそれを共有したいと思います。まず僕はこのような順序を経てオフィスに到着します。 家から駅まで徒歩 電車で移動 駅からオフィスまで徒歩 エ…
キリスト教信仰
オーバーフロー 何度もこのブログで書いていますが僕のキャパはおちょこ以下のペットボトルの蓋程度しかありません。つまり、家庭、教会、仕事などでわずかなストレスですぐにオーバーフローしてしまうのです。過去にもほとんど同じよう…
キリスト教信仰
クリスチャンを悩ませるもの キリストの恵みと律法主義はいつでもクリスチャンを悩ませるものです。それは間違って恵みを理解すると「神様は愛だし、究極、何でも許してくれるじゃん」と神様の恵みを逆手にとるようになるからです。かと…
キリスト教信仰
そこに肉はあるんか 道を歩いている時にこのような名称の飲食店を見かけました。それは「そこに肉はあるんか」というものでした。しばらくしてからわかったのですが、これは何か流行のパロディーのようです。「そこに愛はあるんか」のよ…
子育て
正当化する言葉 今週は子育てで非常に大きな失敗をしてしまいました。自身のキャパがオーバーフローし感情的になってこどもの頭を思いっきりしばいてしまったのです。子育てをしてきた3年間でそんなことは1度もなかったので僕は完全に…
キリスト教信仰
クレクレクリスチャン 昨日は、これまで生きてきた39年間はクリスチャンとしてのほほんとして生きてきたと書きました。表現を選ばずに書けば、平安、喜び、楽しみクレクレクリスチャンです。こういった御霊の実を求めることは一見間違…
キリスト教信仰
聖なる者として歩ませてくださる恵み イエス様の十字架は人間の罪を赦してくださいます。またそれだけではなくこの地上において聖なる者として歩ませてくださる恵みに与らせてくださいます。しかし、この聖なる者という言葉に対しては信…
キリスト教信仰
イエス様の生き方 昨日は、「なぜ、まだ生まれてもいないのに死ぬことを考えないといけないのか?」ということを書きました。しかし、これはキリスト教信仰では原則の一つでもあります。僕はそのことをこれまで深く考えずに生きてきたの…
キリスト教信仰
お通夜のような気持ち 昨日に続けて自身の置かれている試練について書きます。今お腹の中にいるこどもは生まれたと同時に亡くなる可能性が高いと言われています。そのような状況の中で日常生活は変わらず過ぎ去っていきますが、毎日嫁さ…
キリスト教信仰
イエス様がいてくださっている 今、我が家は比較的大きな問題の中にいます。しかし、その中でも「幸いだ。感謝だ。」と思えることが少なくありません。それはひとえに今も生きておられるイエス様が共にいてくださるからです。しかし、そ…
キリスト教信仰
第一コリント13章 先日散歩している時にこの御言を口ずさんでいました。 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない…
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