1815_罪人である私のもとに主は来られた | 病人を招くために来られたイエス様

オーバーフロー

何度もこのブログで書いていますが僕のキャパはおちょこ以下のペットボトルの蓋程度しかありません。つまり、家庭、教会、仕事などでわずかなストレスですぐにオーバーフローしてしまうのです。過去にもほとんど同じような内容のブログを何度も書いてきました。笑

ネタとして書いてしまえばそれまでなのですが、当の本人は苦しいです。本当はせめて一般的なコップほどのキャパがあればもっと余裕をもって生きられると思うからです。最も僕が嫌悪しているのはキャパオーバーした時の自分の反応です。それが周りに迷惑をかけていないか気になるのです。

ぎりぎり

正直に書けば僕は毎日、ぎりぎりで生きてます。「やるかやられるか」の瀬戸際で生きています。やられてしまった場合は、オーバーフローした水が周りに流れ出し周りに迷惑をかけるという事態になります。

だから僕は毎日、切実にイエス様の助けが必要だと思っています。もし、自分の力で生きようとするなら、上記結果になります。しかし、イエス様と共に生きるならば、時に僕の感情を制御され、イエス様が最善へと導いてくださいます。

俺のほうにくるな

僕は日常を生きる中で客観的に「これは僕の反応じゃなくてイエス様が助けてくださっているんだな」と思わされることがよくあります。それはイエス様が僕の心に介入して制御してくださっているのです。これ以上に感謝なことはありません。なぜなら、ヤバい僕を見捨てることなく助けてくださっているからです。

一般的にヤバい人とはできるだけ関わりたくないと思うのが普通の人の反応です。電車とかに乗っていても、缶ビールを飲んでいろんな人に話しかけているおっさんとか見たら、「俺のほうにくるな。俺にかかわるな。」と思いたくなるからです。

わざわざ来てくださった

しかし、主は違います。ヤバい人のところにわざわざ来てくださり、さらに、ご自分の命までも差し出してくださったのです。イエス様はおっしゃいました。僕こそが病人です。

マルコによる福音書 2:17
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。