1244_自分の祈りは浅い
祈りのチャレンジ ここ1年くらいは自分の中で祈りのチャレンジを受けていました。そのチャレンジとはあらゆるところで祈り、あらゆる時に祈るということです。そして、祈らなければいけないではなくて、祈りたい、祈らざるを得ないとい…
祈りのチャレンジ ここ1年くらいは自分の中で祈りのチャレンジを受けていました。そのチャレンジとはあらゆるところで祈り、あらゆる時に祈るということです。そして、祈らなければいけないではなくて、祈りたい、祈らざるを得ないとい…
神第一として生きる クリスチャン生活をしていく中で必ず通らないといけないことがあります。それは生き方を自己中心から神中心に置き換えるということです。これは書くに易しですが、行うに難しです。それは、たとえ自分が神中心に生き…
子供と1日中一緒にいれる お盆休みは家族で遠くに旅行などはできていないのですが、数日間にかけて子供と1日中一緒にいれることが喜びで仕方がありません。普段見れない子どもの成長を見れたり、僕と2人っきりで出かけたりすることが…
この世界はあまりにも理不尽 先日、嫁さんと子供をどこの幼稚園に入れたらいいか?という話をしていた時に、子供がどのような環境で育ってほしいか?という話に広がっていきました。僕としては、自身が子供の頃、近所のお兄ちゃんに遊ん…
祈りの神殿を立て直す この1年くらいは自身の祈りの神殿を立て直すということを自身の課題として取り組んできました。 0502_シロアリが巣食う家屋のごとくにボロボロになった祈りの神殿 1044_祈りは自発的にするものだ!1…
具体的に変わるために必要なこと 昨日はキリストにあって変わるために関する三つのことを書きました。 キリストにあって自覚させられない限り、変わりたいという願望すらおこらないこともある キリストにあって変わりたいという願望が…
人は変われるか変われないか 人は変われるか変われないかの問いに関してはこのように理解しています。「ある程度までは人間の努力で変えられる。しかし、人間の罪の影響の範囲内にある者に関してはイエス・キリストの十字架によってでし…
福音宣教に直結する働き 昨日はできる限り近い将来のうちに家庭集会をもてるようになりたいということを書きました。これは自分から出たことではなく、祈りの中で与えられた思いでありそのためにはさらなる祈りによる準備が必要であるこ…
家庭集会 最近祈りの中で思うことがありました。それは、家庭集会を始めたいという願いが次第に強くなってきたということです。今の嫁さんとは結婚する前から家庭集会はしたいよねという話をしていました。その理由としては、僕の両親も…
人は常在戦場にある 聖書には目を覚まして気を付けていなさいという御言が多く記載されています。また、クリスチャンは霊的な戦いの中におかれていることもエペソの手紙に書かれています。さらに、旧約聖書の箴言には油断することなくあ…
物質的な物を捨てることによるアプローチ 昨日は祈りをより研ぎ澄まされた者にするために断捨離をしていると書きました。それは物質的な物を捨てることによるアプローチなので比較的簡単です。もっとも厄介だと思っている断捨離は頭の中…
断捨離 着々と断捨離を進めています。以前書籍を大量に捨てるとブログに書きました。 1201_【最大規模の断捨離】約300冊の書籍を捨てる決断をした理由 捨てる予定でしたが、量があまりにも多すぎるので、0円で引き取ってくれ…
自分では悔い改めるべきことすらわからない 最近常々思うことはクリスチャンとして生きるために必要なことは「主から教えてもらわない限り何事も気づけない」ということです。それは将来歩むべき道であれ、日常的な些細な意思決定であれ…
今やっていることに何の意味があるの? 僕は今でこそ社会不適合者でありつつもまだ何とか仕事をしていますが、以前の僕は仕事どころか、全くこの世界で生きられないような存在でした。それは、生まれて物心がついた頃からすでにこの世界…
本格的なボルダリング 先日人生ではじめて本格的なボルダリングをしました。普段から筋トレをしており減量もしていたので自信満々で臨みました。インストラクターの方に言われるがままに初心者コースから中級コースとチャレンジしていき…
喜びに満たされて日々を歩みたい クリスチャンならいつも救われた喜びに満たされて日々を歩みたいと願っていると思います。しかし、常に心に留めておきたいと思うのはその救われた喜びとは救われた当時も今も完全に神様から与えられるも…
あなたは私に従ってきなさい 先日、不信仰に陥りそうになりました。しかし、主に祈った時にいつもの御言がやってきました。それは「あなたは私に従ってきなさい」という御言です。人は見える世界で生きているので見えるところによって生…
子たちの心を父に向けさせてほしい 先日、僕はブログでバプテスマのヨハネのように花婿の友人でありたいと書きました。そのことについてまた書きたいと思います。 1224_花婿の友人でありたい 先日祈っていて主が教えてくださった…
信仰は成長する? 信仰は成長するものだという先生もいれば、信仰は成長するような性質のようなものではないという先生もいます。後者は「神様を信じる」ということはそれ以上でもそれ以下でもないということなのだと思います。 それぞ…
神の時 今日書くことは以前にもブログで書いたことがある内容なのですが、最近も同様のことを強く思わされているので書こうと思います。これは決して周りや誰かを見てそう思っているのではなく、僕の当事者問題として切実に感じているこ…