大祭司エリ
最近通読でサムエル記を読んでいますが、一つ教えられたことがあります。それは指導者に関してです。まずエリについて思ったことを書きたいと思います。エリとは大祭司でありイスラエルを治める立場にある人でした。また、最大の功績としては、サムエルを神の人として訓練した霊的な指導者でもあると思います。
しかし、理解しがたい点もあります。それは、彼の子供2人は祭司でありながら全く信仰の人ではなかったということです。しかも、甘々でした。子供たちが好き勝手するのを見逃していたようなのです。たとえ、律法を破ることがあっても、女性と寝ることがあっても放置していたのです。
また彼はハンナが熱心に祈っている姿を見て酔っていると思ったりすることがあり霊的な目はどうなんだろうか?と思う場面もありました。
エリの功績
だから、僕はこれまでエリに対してあまりいい印象をもっていませんでした。しかし、今回通読する中でエリに対するその評価は間違っていると思わされました。彼は確かに偉大な指導者であったのです。
一つ目はまだ主ご自身を知らなかったサムエルに対して「それは主の語りかけだから『僕は聞きます。主よ。お語りください。』」というようにとサムエルに指導しました。これによりサムエルは神様に出会う体験をするのです。エリは確かにサムエルを神様に出会わせる大切な役割をしました。またペリシテ人との戦いでは自分の息子の安否よりも神の箱のことを心配していました。
学んだことはこれです。信徒(人)は指導者に対して完璧を求めます。しかし、完璧な人はいません。むしろ自分はどうなのか?と問うべきです。誰でも弱さをもっており、赦しの中で生きています。しかし、聖書は確かに神の裁きも書かれています。これは僕に対する教訓です。
サムエル
次はサムエルです。ここでも理解しがたいことがあります。サムエルは聖書の中でもレジェンド級の神の人ですが、彼の子供の信仰の人ではなかったようです。そして、彼は次々と過酷な中を通らされます。まずは、イスラエルの民が好き勝手言うのです。ようは「サムエルじゃ物足りないわ。王を立ててくれ!」というのです。これに対してサムエルははっきりと不快感を示します。
しかし、神様はイスラエルの民の要望を聴くのです。これはサムエルにはなかなか受け入れがたいことだったと思います。そして、晴れてサウロが王に立てられます。しかし、サムエルの苦悩は続きます。サウロも信仰の人ではなかったのです。サムエルはこう言いたかったのではないでしょうか。これは僕の想像です。
「主よ。あなたはサウルを王にするとおっしゃいました。そして私は彼に油を注いだのです。しかし、今や彼は失敗をして王から落ちてしまいました。どうでしょう。イスラエルの民は私の任命責任を追及してきます。だから言ったではありませんか。王は立てるべきではない。」と。
指導者のために祈る
学んだことはこれです。指導者はいつも信徒と神様の間に挟まって苦悩してます。だから、信徒である僕はそれを理解してぐちぐち言わず祈ることだということです。