1851_祈りを習慣化するのは難しい | 霊的な戦いに出る決意

長期間継続しない

最近、ようやく自身の祈りの神殿が再建されつつあるのを感じてます。といっても僕の祈りの神殿は情けないながら、これまで再建されては崩れてを繰り返してきています。このブログの読者であれば僕が教会のサマーキャンプに参加して盛り上がったユースのように祈りに燃えては消えていったことを見ていると思います。

なぜ、これほどまでに失敗をしているのでしょうか。自分で言うのもなんですが、僕は比較的あらゆる行動を習慣化するのに長けているほうです。しかし、この祈りの習慣だけは長期間継続しないのです。

自責もあるが他責もある

その理由は自分の意志力や自制心の問題かもしれません。もしくは僕がそもそも祈りに対して切迫感や切実さを持っていないからかもしれません。祈りに関して訓練されていないからかもしれません。いずれも原因の一つだと自覚してます。これらは自責です。しかし、僕は他責にせざるを得ないと思うこともあります。

なぜなら、この世の悪の勢力やサタンと言われる者はクリスチャンが祈ることが嫌っているからです。クリスチャンが祈るとクリスチャンと神様のと関係が強固になります。クリスチャンが愛や希望や喜びで満たされてしまいます。サタンはそれが嫌で嫌でたまらないのです。

祈らないクリスチャンは脅威ではない

だから、彼らは全力でクリスチャンが祈らないように総攻撃を仕掛けてきます。そして、クリスチャンが祈らなくなったら、彼らは去っていきます。なぜなら、彼らにとって祈らないクリスチャンは脅威ではないからです。だから、祈らないクリスチャンに霊的戦いなどありません。戦いはないから気分は楽ですが、それ以上でもそれ以下でもなく、ただの人になってしまうのです。

僕は正直に言うと「楽だから、霊的な戦いはごめんだらか」という理由でここ数か月祈らない選択をしていました。もちろん、祈りはしますが、何十分も何時間も主の前に出るという祈りをしていなかったのです。

今ようやく、再び、その回復の過程にあります。明日に続けます。

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