0412_エンジニアにとってコードを書くこと

エンジニアにとってコードを書くこと

先日お会いしたエンジニアの方が最近は完全にマネジメントにまわっているので、全くコードを書いていないとおっしゃっていました。他の人が書いたコードレビューや技術的なアドバイスは全く問題がないのですが、いかんせん書く時間がないそうなのです。僕が「やっぱりコードは書きたいものなんですか?」と聞くと、目を輝かせて「そりゃそうでしょ!書きたくてたまらないですよ!」とおっしゃっていたのが非常に印象的でした。

個人的にはマネジメント側は、いわば工事現場の現場監督のよう立場なので、自分の手は動かさずに人を動かすので楽でいいのかなと思ってしまっていました。人によって違うかもしれませんが、エンジニアの方は仕事だからという理由で、いやいやコードを書いているわけではなくて、書きたい欲求があり、さらに書くことが喜びですらあるようです。そういった姿勢はとてもかっこいいなと思いました。

クリスチャンにとって神に仕えること

プログラミングがわからない人からすると、コードを書くことは苦行のように思えるかもしれません。しかし、エンジニアの方にとって、コードを書くことは自発的な欲求であり、喜びですらあるのです。

一方で、クリスチャンは神様に仕えることをどのように思っているのでしょうか。他人が苦行と思うようなことを自然発生的な欲求で嬉々としてしているか?ということです。教会生活や祈りと御言の生活が、もし形式や義務や習慣で行われているのであれば、なかなか証にはならないのではないかと思ってしまいました。

誰かが「やっぱり毎日どれだけ忙しくても神様に毎日祈りたいものなんですか?」と聞かれた時に目を輝かせて「そりゃそうでしょ!祈りたくてたまらないですよ!」と言えるでしょうか。「もし、そんな主への思いを他人に伝えたら変人と思われるのではないか?」とか、「実はそもそもそんなに熱くも冷たくもない」とか、そういった気持ちが自分の中にも存在していると思いました。

良い証とは

「目を輝かせて、主に仕えること」、それが大きな証になると思います。神様と人に奉仕すること、捧げること、祈ること、御言を聞くこと、読むこと、語ること、すべて、もし嫌だな~という感情があったら、誰もクリスチャンに魅力など感じないのではないかと思います。

おっさん
■きっと、目を輝かせて主と生きるとそれ自体が証になるだろう

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