耳をなめるおっさん
先日、久しぶりに小学校時代の友人に会いました。料亭の大将、医者、教師、銀行マンの中で僕一人だけ零細企業のWeb屋で細々とやっているというコントラストがすごかったです。しかし、当時の思い出に花が咲き、立場関係なく小学校の頃に戻って話ができる関係は素晴らしいと思いました。
色々なことを話したのですが、その中で印象的だったテーマがあります。それは「俺らが子供の頃はやばい大人がいっぱいいた」ということです。思い出してみれば、僕の実家の斜め前には、追いかけてきて捕まえては耳をなめるおっさんがいました。
首を両手でわしづかみ
僕の友人はこのようなエピソードを話ししていました。彼が小学生の時に自転車をこいでいてこけてしまったそうです。ちょうどそこを歩いていたおっさんがその様子をみて笑ったようです。僕の友人もとがっていたので「なにわろてんねん」とおっさんにゆったら、おっさんがこのようなことをしたというのです。
彼の首を両手でわしづかみにし、そのまま彼を上に持ち上げたそうです。つまり、彼の体は宙に浮いたのです。足をバタバタする中で、首で全体重を支える激痛は耐えがたいものであったと彼は回想していました。その時、大人は舐めたらだめだと学習したようです。身近にいるおっさんだけじゃなくて先生も非常に怖かったです。普通に暴力は当たり前の時代でした。
余裕がなかった
今と全く違うのはそういったおっさんがいても事件化、問題化しなかったという点だと思います。今なら近所で変なおっさんがいたら事件化、問題化すると思います。しかし、当時はみんなそんなことに関与するほど余裕がなかったのだと思います。むしろ、そういう人もいて当然、という時代だったのだと思います。
僕らはそのような今では時代に生きたのですが、結論はネガティブなものじゃありませんでした。むしろ、その体験があったからこそ今があるとなったのです。
過保護になりすぎないよう
その理由は人生はそれほど甘くないからです。温室で育てられるよりはジャングルや荒野で野性的に育った動物のほうがたくましく生存能力が高いことは決まっています。僕は今絶賛子育て中ですが、死なないという前提を持った上で過保護になりすぎないように注意しようと思いました。













