もうようちえんはいかない
子供が今年度から幼稚園に通っています。彼は1歳の時に一度保育園に入園しました。しかし、その後、保育士をしていた嫁が「他人の子供の面倒見るくらいなら、自分の子供の面倒見るわ」という方針のもと、2歳から3歳までは家で育児をすることになりました。
そして、その期間が終わり、今年度から幼稚園に入園になったというわけです。初日から大泣きで「もうようちえんはいかない」、「おうちがいいの」、「せんせいがこわいの」などと言っています。しかし、これも時間の問題だと思っています。なぜなら、子供の適用能力は目を見張るものがあるからです。
人生はそれほど甘くない
僕は昨日このようなブログを書きました。
かなり極端な例ではあり、現代ではあり得ないこともありますが、それでもやはり「人生はそれほど甘くない」という点は昔も今も変わっていません。甘く育てるととんでもない子供になってしまいます。しかし、厳しさの中にも愛と自由を感じることができれば、子供はたくましく育つと信じています。
祈ること
しかし、僕が親としてそのような度量を持って広い心で「子供には旅をさせよ」とできるか?と問われたらそうでもありません。なぜなら、僕は末っ子長男でとんでもなく甘やかされて育てられたからです。しかし、その代わりに家の外でだいぶもまれました。その苦しみや苦痛があったからこそ人生に向き合えるなったと思っています。
僕ができることは子供への実際的な関わりのほか、「祈ること」です。この祈りは絶大な効果があります。なぜなら、主の御心にかなった祈りはすべてきかれるからです。先日友人にこのようなことを聞かれました。「こどもにこんな風に育ってほしいとかある?」
安心安全
僕はそれに対して「こどもが一日でも早く今も生きているイエス様に出会ってほしい。もし、イエス様と共に生きることができれば親としてできることはほとんど終わったと思っている」と答えました。
なぜなら、子供が自主的に能動的に積極的に主体的に自立的にイエス様を求めることができれば、もう安心安全だからです。だからこの先行き不透明な時代にあって、子供が主に出会い、罪が赦され、イエス様と共に歩めるように祈っています。













