ボタンを掛け違い
人は服のボタンを掛け違ったくらいでは泣くことはないでしょう。それはたとえ掛け違ったとしても最後までボタンをした時に必ず気づくからです。ようは早い段階で実際的な修正が効くので影響が少ないのです。
しかし、1日の過ごし方や人生、あるいは意思決定におけるボタンの掛け違いはどうでしょうか。時間は不可逆的でどうやっても戻せない以上、たとえ掛け違いに気づいたとしてもリカバリーができるとは限りません。致命的な掛け違いをしてしまうことすらありえます。
1回の夜更かしが…
僕は年末から年明けにかけてかなり調子よく毎日を送っていたのですが、先日の金曜日の夜は気が緩み少し夜更かしをしてしまいました。それが翌日に影響を与えるボタンの掛け違いになってしまったのです。
まず、当然のごとく翌朝起きるのが遅くなりました。嫁さんはこどもと6時くらいから起きているので、僕が遅く起きてきていい気がするはずがありません。またやるべきこともすべて後ろにずれ込むことになりました。
やるべきタスクは後回しで気持ちはすっきりしない。僕はスケジュールは決まっているのに時間がないと焦る。嫁さんの機嫌はよろしくない。とたった1回の夜更かしが1日の過ごし方の質を全くだめにするほどに影響を及ぼしてしまったのです。仕事が終わってからも無意味にだらだら過ごさないという自分に対する約束を守れなかったために今回のことが起きてしまいました。
良質な意思決定に必要なこと
そう考えると、やはり一つ一つの意思決定の質が1日の質につながり、それが人生の質につながるということを痛感しました。良質な意思決定をするのは簡単なことではありません。個人的には良好な状態の身体と精神と魂が必要だと思っています。
体調不要であったり、精神的にストレスがかかっていたり、神様との関係がよろしくない状態で良質な意思決定をすぐにできるはずはないと考えるからです。だからこそ、聖書が言っているように、自分自身に気を付ける必要がありますし、目を覚ましている必要があります。
少しの油断や気の緩みに乗じて意志の中に弱さが入りこんできます。花金は気が緩みがちであるからこそ気をつけたいと思いました。