マネジメントの原則
マネジメントの原則の基本に「人の弱みではなく、強みを見る」というのがあります。にもかかわらず、おそらく多くの人は「人の弱さを見てしまう弱さ」があるように思います。人の弱さを見るのは簡単です。目の前に起きていることに目を向けて評価するだけです。重力的に上から目線で下を見る方が楽だからです。僕自身は、意識していないと人の弱さを見てしまう引力に引っ張られてしまいます。
しかし、これも事実として意識しないといけないのが、「人の目にはちりがあるが、自分の目には梁がある」という聖書の言葉です。自分のことをさしおいて、他人のことをやいやい言いたがるのはどう考えても罪の性質です。だからこそ、イエス様が、まず自分の目から梁を取り除けなさい。つまり、悔い改めなさいとおっしゃったのです。
人の強みを見る過程
あることを人に言うべきか、いわないべきかを考える場合、上記のイエス様の言葉に従うのが最適です。なぜなら、イエス様の言葉に従うならば、まず自分の目には梁があることが自覚され、さらに悔い改めに導かれるからです。
そのような状態になった時に、果たして「あなたの目から塵を取り除けさせてください」と言う気になるかどうかです。僕の場合は、もし、イエス様のもとにいかないならば、偉そうに上から目線であーだこーだゆっているに違いありません。
しかし、イエス様のところに行くならば、とても自分にはそんなことを言う資格はないと思わされるのです。そうなるとどうでしょう。自分の弱さを自覚しつつ、相手の強みを見る謙虚さが与えられるのです。
強みを見る秘訣
イエス様は聖書の中で人の弱みにではなく強みを見ていたお方だと思います。イエス様は夜を徹して祈られ、十二弟子を選出されましたが、十字架にかけられた時、みなは散っていき、裏切られてしまいました。しかし、それでも、イエス様は弟子の弱さを見てそれを裁くことをせずに、可能性を見てくださっていました。その愛の働きのゆえに多くの弟子たちが再起したのです。
それにはイエス様の愛の体験が必要でした。またそれだけでなく、ペンテコステの日に上から付与される力も必要でした。だから、現代を生きる僕たちも、まずはイエス様の愛、そして、実際的に弱みではなく強みを見る謙虚さの力が必要です。
元来の僕は、弱みを見て強みを見ない残念な人間です。しかし、イエス様の愛に満たされるならば、人の強みと可能性を見る謙虚さが与えられます。その力を今日も求めます。