盛り上がらなかったらどうしよう
昨日は教会で知り合ったイギリス人の方と一緒に観光に行きました。彼がまもなくイギリスに一時帰国するのでどこかに連れて行ってあげようと思ったからです。嫁さんはちょうど子供を連れてママ友と遊びに行くというので外出許可もすぐに出ました。
といっても、僕の中には少し不安がありました。それは僕は英語がほとんど話せないし、相手も少しの日本語しか話せないからです。「盛り上がらなかったらどうしよう」とか「楽しんでもらえなかったらどうしよう」とか思いました。
イエス様がその中にいてくださる
しかし、昔からたとえ言葉はうまく伝わらなくても楽しめるというのを知っていました。それは間違いなく「イエス様がその中にいてくださる」からです。クリスチャンならこのような経験はいくらでもあると思います。
たとえ、自分は面白くなくて、つまらない人間であったとしてもイエス様がその交わりの中にいてくだされば、その交わりが非常に恵まれたものになるという体験です。だから、僕は祈って臨みました。
イエス様がいれば盛り上がる
そして、迎えたその日はとっても楽しい1日となりました。確かに今はスマホで瞬時に翻訳できて明確に意志の伝達はできます。僕も時々翻訳をして見せたりしました。しかし、実際盛り上がたり気持ちが繋がったと感じたのは、下手な英語でも話そうとする時だと思いました。
意志の伝達が明確にできるからと言って仲良くなれるわけではありません。それも大切ですが、それはほんの一部の要素でしかないということです。結局人の仲良くなれるかどうかは「一緒にいて楽しい」とか「気が合うか」とか「盛り上がるか」とかにかかっていると思ったからです。僕はその一点をイエス様に委ねています。なぜなら、僕といても絶対に盛り上がらないからです。しかし、イエス様がいれば盛り上がります。
下手でも話せること
ビジネスの側面からいえば、瞬時に翻訳して意思疎通ができるツールは重宝すると思います。しかし、やはりツールを使っての意思疎通には限界があると思いました。はやり、人と仲良くなるには、1秒の遅れもないライブ感と鮮度が大切であり、その人の伝えたいという気持ち、表情、声、間、コンテンツなどが重要になると思いました。
英語の勉強は細々と続けていますが、翻訳ツールに頼らなくても下手でも話せることができるようにしないといけないと思いました。













