クリスチャンになれば
誤解を恐れずに言えば、クリスチャンになれば、いつも心に平安があって幸せで楽しい日々が待っているというわけではありません。クリスチャンになっても、いや、なったからこその悩み、苦悩、苦しみがあることがあります。それは霊的な戦いに参加すればなお強度を増すものです。
しかし、それであってもクリスチャンの生き方は幸いです。なぜなら、どのような状況、環境にあっても、主は決して見放さず助けてくださるからです。人生積んだ、こけた、おわった、もう取り返しがつかない、と思った瞬間、主の御言一声ですべてが覆されるからです。
一般的に大げさに人生おわったと思われるようなこと
僕はこれまでの人生の中で程度は低いですが、一般的に大げさに人生おわったと思われるようなことが何回かありました。例えば下記のような出来事がありました。
- 受験で失敗して浪人生活
- 社会不適合認定で新卒で入った会社退職
- 中国へ行って日本の社会保障から離脱
- 中国で働いていた日本語学校が倒産
- 30代で時給800円でアルバイト
- 恋人のお父さんに暴言を吐いて失恋
これ以外にも、話せば誰でも「自分はこの人よりましだわ」と思っていただけるような出来事が数多くありました。ではなぜ、このような僕が今のほほんと生きているのでしょうか?それはイエス様がいたからにほかなりません。
野球の9回裏で連続満塁ホームラン
自分の実から出た錆、あるいは不可抗力的な出来事であっても、祈る時に主が助けてくださったからです。祈りには本当に力があると思います。祈りぬけば、主がわずかに手を動かすだけで、あるいは一声かけるだけで、すべてが覆されるのです。
それは100対0で負けている野球の9回裏で連続満塁ホームランが放たれ続けるようなものです。つまり、それは神様が自身の人生に介入してくださる奇跡にほかならないのです。
神様の本物の愛があれば
冒頭にも書きましたが、クリスチャン生活はいわゆるバラ色の人生が保証されているわけではありません。しかし、神様と共に歩める人生は保証されています。それは決して見放さずに愛してくださっている神様との愛の関係の人生です。
愛があればどんな困難でも乗り越えられるというようなJ-POPの歌詞がよくありますが、本当に神様の本物の愛があればどんな困難でも乗り越えられるのだと思います。これからの大いなる不安定の時代、ますます神様の愛が必要とされるのだろうと思っています。