神様の介入
これまで、仕事であと少し間違っていたら、大炎上していたというようなことを何度も通ってきました。僕が踏み外す!と思った時に主は右の手で支えてくださっていたのです。僕は社会不適合者なので、いつも限界の中で仕事をしていますが、完全に神様の一方的な恵みによって仕事をさせて頂いています。
ある時は、デモ直前まではバグが発生していたのでに、デモでバグが直っていたということもありました。ある時は、「ふっと確認すべきこと」が頭に下りてきて、それをチェックしたらバグがあったということもありました。もし、それをしていなかったら、大炎上していたと思われることが多くあるのです。
もちろん神様丸投げではないけれど
もちろん、そういった状態にならないように体制として整えておくことが人間にできることです。失敗から学び、タスク化するなり、リスト化するなり、アラートが出るようにするなり、仕組み化することによって同じ失敗をしないように改善することは可能です。そして、それを人間は目指すべきだとわかっています。しかし、それでもチームで全力でやっていてもミスが起こりうるのが仕事です。
神様は必要に応じて、その時々において、御心に従って必要な助けを与えてくださることがあります。もちろん、僕は何でも神頼みの態度は正しいとは思いません。また、トラブルが起きた時も「あなたがいるのに、なんでこんなことが起こるんですか?」とも言いません。
一方的な憐れみによって
また「なんで朝からしっかり祈ったのに、祈り終わった矢先からなんでトラブル続きなんですか?」とも言いません。なぜなら、すべてのことは最終的には意味があるからです。事後的にあのことは自分にとって必要なことであったと信じているからです。なぜなら、トラブルの中にも主はおられ、主が導いてくださると信じているからです。
それを自分の責任としてしっかり受け止めます。それが起きたのは僕の責任だからです。ただ僕が感じるのは、神様が介入する必要はないにもかかわらず、ただただ神様が一方的な憐れみによって助けてくださるということに驚きを隠しえないのです。
ただ告白したいこと
決して悲観して言っているわけではないですが、僕は仕事でも家庭でも教会でも不適合者です。だから、この言葉を心から神様に告白します。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
詩篇8:4